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文化芸術を不要不急と言わせない

もう結構前の話、といってもコロナコロナになってからの去年の秋口の話だったんですけど、電車で移動してたら向かい側のシートに座ってる人が化粧してて、まあそこまではよくある電車内の光景だと思ってたら化粧終わったら、スーパーで売ってるお惣菜の薄めのパックあるじゃないですか、こういう浅いやつ。

これに入ったきゅうりとわかめの酢の物っぽいものを爪楊枝で食べ出してたんですよ。えええええーーーーーーーいやいやいやいやここ電車の中ーーーーーー!!!!!!!

で、それ食べ終わったら次のパックを食べ始めて。

えっもう何意味わかんない!?!?!?もう絶対目合わんようにしとこ注意するのも怖いわ思って無視してたらきゅうり食べ終わってて、あー終わったんかー思ったら

白菜の浅漬け食べ始めてたんですよ。

いやまじで怖い怖いなにこのおばさんこっわ!!!!!って思ってて、スマホに目を落としてもう目ぇ合わさんとこ思ってたら白菜も3パックぐらい食べ終えてて、最終的にターミナル駅で降りてったんですよ、パックの食べガラ、電車のシートの下に放置して。もう、ええええええ!?!?!?!って感じ。思わず「忘れ物してますよ!!!」って降りてったBBAに声かけようかと脳内で思ったけどそんな明らかに不審者に絡む勇気は出ず。

ていうか、駅員さん達も就職活動で鉄道会社ってそこそこ入るの難しいのに、実際問題の業務として駅や電車での「置いていく=捨てる」と思い込んでるバカのゴミ処理とかゲロ処理とかクレーマーとの対立とか本来割くべきリソースじゃないとこに割かされてるのはしんどいよなあ、と思ったり。

で、こんな白菜パックBBAの話をして何を言いたいかというと、

『たとえ惣菜パックを電車の中で6パックも食べ続けてしかも食べガラを電車に放置していくスーパー不届き者役満であっても、いきなり無から発生したわけではなくて経緯があってそういう人になった』

わけじゃないですか。これ何事でもそうで、無からいきなり完成形が発生するって絶対ないんですよ。妖怪とか、例えば猫又とかもまず猫が長生きして尻尾が裂けて化け猫になるってプロセスがあって猫又になるから、いきなり猫又完成形どん!ってわけではないですよね。(※諸説あります)

だからそういう不審者を見ながら「この人はどうしてこういうことをするようになったのだろう・・・」と思うのだけど、どういう経緯があってもまじでまた電車で見たくないことには変わりないのでふたたびエンカウントしないことを祈るばかり。でもその電車ぼちぼち使う路線なんだよなー。

でまあなんでこんな話をし出したかっていうと、

演劇とか芸術・エンタメ分野に関わるものも同じように完成品が無から発生したとでも思われとるんかって扱い受けることが多いよねって感じてるからです。

あと”需要がないのに勝手にそっちがやってるんでしょ””勝手に世の中に流してるんだからこっちがどう使おうと勝手でしょ”みたいな一般人の上から目線、傲慢さも見え隠れしてるなあと。

いやーここんとこパソコンを終了させるのにコンセント抜くどころかブレーカー落としてオフにするんかぐらいの強制終了ぶりをカマされてるわけですが。もうほんま、この1年間不要不急って・・・・不急かもしれないけど不要はないだろ不要は。

文化芸術って言葉にすると勝手に硬いイメージにしているところあるけれど、アニメ漫画ゲーム演劇音楽映画ドラマ小説、どれももう広い範囲で日常生活に根付いているもので。

文化は不要です!!!って主張するなら、

じゃあもうテレビのドラマ、映画、舞台は一切なしね。ジャニーズやらなんやらのイケメン俳優たちも文化従事者だからね。ドラマや演劇の監督、脚本家が書いてる舞台もいらないよねー。毎週毎月刊行されてる週刊漫画雑誌、月刊漫画雑誌も当然読まないよね。「週刊少年ジャンプ」筆頭にアウトですよ、ワンピースも鬼滅も呪術そうだよねー。あ、漫画アプリも同様。漫画だけじゃなくて小説もそうだね。アニメ番組も不要か。あ、アンパンマンで子供あやしてた?でもアンパンマンもアニメだから不要だし、他のEテレ筆頭に地上波・動画配信サイトとかで放送してるアニメもなしね。ディズニーもコナンもドラえもんもプリキュアもジブリもアニメですよ?もちろん子供も大人もプレゼントや日用品でディズニー、バンダイナムコ、任天堂はじめとする各社が提供してるアニメ・ゲームキャラクターのライセンス商品もアウトだよねー。当然ディズニーランドとかピューロランドも含まれまっせ?え?スマホに「Pokémon GO」入れてるの?!?!それ思いっきりゲームだから文化じゃんはいアウトアウトー!!!え、Apple MusicにSpotify入れてんの?そこで配信されてる音楽、いきなり無から発生してなくて誰かしらが作って歌ってるからそれこそ文化の塊なんですけど!!!うっそーん!?!当然だけど、海外からの『**美術館展』に並ぶ?とかもありえなーーーい!まあ元々芸術家のなんたるを知らずに「フェルメールだ!ピカソだ!」って広告と行列の報道で行ってるような人たちには過ぎた贅沢ですわね。

・・・・ってことですけど、こんだけ日常生活でお世話になっておいて文化が不要だなんてどの口が避けて言えるんだ!?!?!それこそ、日常のちょっとしたことから、漫画が流行ったからコラボや聖地巡礼で地方への観光客が増加したり、「これが!?」と思うようなものが売れたり、アイドルがライブするって発表したらまず宿が埋まったりするような経済をごりっと動かすようなことまでしていたのに、これでも不要なの???不必要なの????日本全国エンタメきっかけでお世話になっておいてどの口がいうとんねーーーーーーーーーーーん!!!!!

というと、『ディズニーはセーフ!』『嵐は国民的アイドルだから!』『「鬼滅の刃」は大ヒット作品だから!!』って主張してくる人がいるけどいや何がそれセーフなんだよ。なんでそこだけOK治外法権なんだよ。一般ピーポーが好きで大衆化してるからそれは文化芸術じゃなくて大衆のためのものだから特例ってか、何言ってんねん。セーフかアウトかの基準って何?知名度の高さ?大衆受け?そんなわけないやろ。

おっと失礼荒ぶりました。

仮に鬼滅がセーフにしてもよ、いきなり「鬼滅の刃」って作品が無から出てきたわけじゃないじゃん。え、なに?勝手に無から完成形がポンと出てきたって思われてる???

まず「鬼滅の刃」という作品が発表されるにしても、漫画はただ描いただけでは漫画でしかなくて、雑誌に連載されて商業ベースに乗っかって流通して人の目に触れて初めて漫画という商品として世間に認識されていくわけで。
そこに至るまででも、集英社のジャンプ編集部が連載企画を通して、吾峠呼世晴先生が漫画を描いて、それが印刷会社や製本会社の手を通って週刊少年ジャンプが形になって、日本全国の流通やアプリで配信されることで人の目に触れてそこから大きくなって今の一大ムーブメントを起こすまでの展開になっててその最後の「人の目に触れる」のところしか見てないようであれば、もう大間違いというか。

それに漫画を描くと一言で片付けたけど、じゃあ”漫画家”を連れてきたらできるものかって言われたらそうじゃない。まず普通に画材という道具もいるし、時間だってかかる。そして当然のことながら人間はいきなり漫画家として完成していない。いきなり完成形の漫画家『吾峠呼世晴』が出てきたわけじゃなくて、人間として生きていく上でいろいろなものを吸収して技術をあげてというプロセスを経て結果、はじめて漫画家として漫画を描くようになるわけなんだけどなんでこれがわからないかな・・・・。

って思いながら、あ、そうか、何にもないのに「おいメシ」とか言ってくる奴とかいるよね。いや材料も設備も道具もないしここに料理スキルある人間はいませんけど!?なのに、女と結婚したから俺の嫁になった人間は何もせずに何も与えずに何も指示せずとも勝手に飯を作るもんで、飯は勝手に自動的に俺が要求したタイミングで出てくるって思ってる人間が日常生活で日本全国に大量にいる以上、他のものだって同じように時間も手間も工数もかかるなんて思い至らないよね。

しかも数年前、それこそ同じ界隈の人に「まともな大人は漫画やアニメを見たりしないんだよ〜〜」とか言われたことがあって「いや仮に子供向けの対象作品であってもそれを子供に届けるための仕事をしている人たちは大小有名無名関係なく大人がやってることだけど、その発言はその仕事をしてる人を侮辱しているのでは???」と思ったけど反論してない。今ここで反論する。

そして人が漫画家であったりクリエイターとして成立するまでのプロセスには、ありとあらゆる人間としての生活の中で影響を受けてきたものがあって、それは前の世代の文化芸術であったりするわけで。今ある文化は昔のものを見て引き継いできた人がこれからも作り出して、そして次の文化が生まれていくものなのは、手塚治虫とかの例を見ても明らか。(宝塚出身で地元の宝塚歌劇団見てた→『リボンの騎士』として影響→少女漫画の次の世代に刺激→現在に至る)世の中にある全てのものが有名無名を問わず、今いるクリエイターたちの養分になっている。しかもこのクリエイティブは国を越える。平気で越える。

それに、死んでから売れてる画家、あなた方が海外旅行行ったり日本に来たら行列作ってまで見に行ってる美術館の展示にいくつある?当時売れてても今は知名度が低かったり、名前が残ってない人も多くいる。

有名無名とか関係ないし、お金をどれだけ動かしてるのかも「興行」という目線では大事だけど「文化」としては関係ない。上手下手も同じ。全部ひっくるめて文化だから。
目先の状態だけで大衆がこれはセーフだとかこれはアウトだとか決めるだなんておこがましいことだ。

何度でもいうわ。

文化芸術は、きっと絶対滅びない、生き残ると信じているけれど、
不要不急と蔑まれるようなことはしていないし、
生きるために、必要だ。



私に課金していただいたぶんは私が別のエンターテイメントに課金してそれをまたネタにしますので華麗なるマネーロンダリングとなります。