大嫌いはポジティブなのではないか?
という仮説
大嫌いな人に対して、嫌いを隠し、なんとか普通か好きでいようとする似非行為は、ネガティブなのではないだろうか?
自分という人間を中心に置いて、その人間を幸せにしたいと思った時、その人間が誰かを嫌いって思った時「あなたが我慢しなさい、好きって思わなきゃだめ、そう考えるあなたが悪いんだから、そうなったのはあなたが原因なのだから」
今までの私はそうだった。全部自己責めの材料にしてた。
だから自己肯定感低いし、自己否定やばい。
いつも自信なくて、そうなると、そういう世界を創るから、そうあしらわれる。そしてさらにそれが当然のようになり、世界も強化される。素粒子は何のためらいもなく、現実化してくれる。
本来善悪がなく、神の遊びとして人間が作られているなら、何でもよくて、だから素粒子は固まる、思いたい方向に。
で、嫌いって思った時に、ダメ思っちゃダメ、何が悪かった?私の何がいけなかった?って考える前にすること、
わかるわかる、ここであいつマジ嫌い、大嫌いって思えない奴、マジで馬鹿だね、あなたが正解、世界から消えればいいのにね、不幸が来たらいいのにね。いらないよ、あんなやつ
これをする事で、ポジティブになれません?
エセポジでは絶対ないよね。だって本当の心のうちなんだもの。
全肯定が神の立場なら、オッケー取るでしょ。
それをすっとばして、何がどうだって話進むわけない。
私は全力で相手を嫌いになり、エセポジから卒業する
全力で自分の味方になり、全力で自分を幸せにする!
マントラ
私は心身ともに健康な億万長者
私は世界的に有名なアーティスト
追記
高校の時に来た研修生の先生に冗談で「大嫌い」と言われ、冗談と分かりながら傷付き、大嫌いを言わないって決めたかも。
人はいろんなシーンで自分を制限し、生きにくくしてるね。
それはそれ、その時の私はもういいない。
鎖を外せ
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