無神論と宇宙と生きる理由
わたしたちが蟻だとしたら、神の姿は蟻であるだろう。人間が宇宙で最高峰の頭脳を有していると思うのは人間の傲慢だ。神がいるとしたら人の姿はしていないし人の言葉も喋らない。
人間は地球上の遺伝子にのっとってただ偶然に誕生したのであって、人間の有する五感を超えた存在だって宇宙ないし宇宙外には存在すると思う。(人間は五感”しか”有していない。)
見たことない存在もあるだろうし、もしかしたら見えないかもしれない。「存在する」から見えているのではない、見ることで「存在できる」のだ、と300年前既にバークリーが言ってた。人間がはじめは地球をどこまでも平たい地形だと想像したように、私たちの知る限りの宇宙はまだ、平たい地形の地球と一緒だ。
宇宙の外には宇宙を水晶の中に閉じ込めて観察している物体があるのかもしれないし。宇宙とは全く別次元のなにかが存在してるのかもしれないし。
好きなジョークがある。
赤ん坊宇宙はほんの一瞬で風船のように膨張します。その風船の表面に、創造者が何か書こうとしたとしましょう。例えば、「私がおまえたちをこしらえたことを覚えておいてくれ」とかね。インフレーション膨張によって、そのメッセージは急激に巨大なものとなります。すると新しい宇宙の被造物たちは、メッセージのひとつの文字の片隅で暮らしているわけですから、メッセージを端から端まで読む事は絶対にできないでしょう
【世界はなぜ「ある」のか】ジム・ホルト著 ハヤカワ文庫p30より
空をとぶ必要があったから鳥は羽があるし、泳ぐ必要があったから魚はえら呼吸する。そうやって進化してきた生命によれば宇宙もまた必要にせまられて誕生したとも思える。でも人間はまだまだ解明するに至っていない。
脳の信号の伝達が停止したら人は死ぬとされる。とても物理的な話だと思う。生命の宿命なので人は絶対に死ぬ。どうあがいても逃れられない。死を恐れながら生きるのは、あんまり得策ではないと私は思う。死後の救済を信じる事で人生が豊かになるならもちろんその道を選択すればいいし、私みたいなのは生きてるうちは生き、死ぬ時は死ぬと割り切ることを受け入れなければならない。
最近こんなツイートを目にした。
私は文字と言葉は人類最大の知恵だと思っているけど、生命という呪いはとても非効率だと思ってる。
知恵を仮に数値化すると、0で生まれて100になったとして、それを生きてる間に文字に残してまた0の者に受け継ぐ。0の者は受け継いだ上で50にしかなれないかもしれないし、200になるかもしれない。200になれる人は限られる上に、やはり生命という呪いがある限りまた0から受け継がなければならない。
ツイートの脳の話はマンガだけれど、まじめに実現したら人類は効率的に次の次元に行けそう。脳同士でコミュニケーションできたら、文字は必要かもしれないけど発音は不要な文化になってしまうね。歌もなくなってしまうんだろうか。肉体がなければ生きてる事を謳歌できなくてみんな死にたくなっちゃうか。進化には犠牲がつきものだって、進撃の巨人で言ってた。気がする。
それにしても改めて文字と発音をリンクさせて意思を疎通するとは、ものすごい文化だ。先代は天才だ。教育がなければ私がこれらを操るのは無理だっただろう。それを最低限の教育としているのだから、現代はほんとうに素晴らしいとしか言いようがない。それでも現代ではよしとしないで前に進む武器のひとつでしかない。
前に進むってなに?どこへ?
一般人のわたしの身の回りで起こることは、すべて人間の文化圏でのみの発展の話だ。人間同士の営みの中で、より良い社会を作っていきましょうっていう。それは政治だったり、YouTuberだったり、飲食店だったり、アパレルだったり、さまざまだ。そりゃ対人間でないとお金はもらえない。もちろん私も人間の中で必死にもがいている一人だ。
でもみんな、あまりに人間社会の中で生きすぎてやしないか。
わたしは生まれてからずっと、それがしっくりきていない。宇宙の話は誰ともした事がない。でもみんなも実は同じことを考えてない?人間同士の営みに限界感じてない?だから「生きててえらい!」のコウペンちゃんが平成に誕生したんだ。わたしは宇宙と生命の真相が知りたい。でも人間に生まれた以上、人間としてしか生きられない。諦めと肯定の上に現代がある。
わたしはきっと理由なく存在するものがとても不安なんだ。でもよく考えたら理由の上に存在してるものはなにもなかった。宇宙の解明がされたところで出てくる感想は「で?それが分かったところで何になるんですか?」。生命の生きる理由は元よりない。でも生きる理由はつくれる。理由をつくり、言動に全てを注ぐのが人間で、つまりそこそこ積極性が求められる。生きてる限りみんなが自分と闘い続けている。それが正しい姿で、生命として美しいんだろう。
前に進むとは、今までどおり人間として、文化を発展させる事で間違いないんだろう。なんでこんな事してるんだろ?と我に返りながら。それでも前に進むしか道はない。その道を肯定的に示してくれるのだから、神様にすがりたくなる気持ちも分かる。神がいないと虚無感がつきまとう。
神は人間の、人間による、人間のための救済だ。宗教が誰かの救済である限り必要だと思うし、否定するつもりも全くない。けれど私は神を信じていない。議論するつもりもない。思想は自由だ。宗教もまた、誰かが前に進むためのひとつの文化だ。
精神科と宗教と、この動画が面白かったので見てみてもいいかも。
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