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ママのこと 7

こんにちは ゆかっぱです。

今月は次男が卒業と国家試験
末っ子も高校卒業
人生の大きな節目を迎えています。

ママと私の大きな節目のひとつは
ママが33歳、私が10歳の時でした。

その頃のママは
「銀座No. 1ホステス」として
バラエティ番組の出演や雑誌の取材を受けるようになりました。

私といえば
本を読んだり、お人形で遊んだり
かと思えば、近所のお屋敷に潜り込んで
お庭の池に住んでいるザリガニを釣っては叱られたり
買ってもらったばかりの海外ブランドのお洋服を
鉄棒に引っ掛けて ビリビリに破いて帰ってきたり

相変わらず そして今もそう変わらず
自由気ままに過ごしていました。

ママが有名になると 私に意地悪を言ってくる同級生が現れました。
「お前の母ちゃん、キャバレーで男に色気振りまいて
金稼いでんだよなぁ」
学校帰りに毎日そういってはちょっかいをかけてくるのです。

「キャバレーじゃないよ、銀座のクラブだよ。
それにお色気を振りまくだけじゃナンバーワンにはなれないんだって。
お店のお姉さんたちが言ってた。
たくさんお勉強して 政治とか経済とか芸術とか
いろんなこと知らないと お話にならないんだよ。
もちろん、うちのママみたいに美人じゃないとね。
君のお母さんじゃちょっと無理だよね。
あ、それに銀座のクラブは高級でお金もかかるから
君のお父さんのお給料じゃいけないよね。
かわいそうだね、世間知らずって」

今にして思えば 相手の男の子より
私の方がひどい気もしますが。

さすがに毎日、そんなことを言われ続けると
泣きたくなることもありました。
こんなことで泣いていることをママが知ったら
どんなに悲しむかと思うと、家に帰るまでには
なんとか泣き止まなくてはいけません。
学校から家まで徒歩3分 どんなにがんばっても
目は真っ赤だし 涙を拭った後でドロドロになった顔。

ママが気づかないはずはありません。

ママはある決意をしました。
銀座のクラブを続けていけばある程度の財産が築ける時代でした。
お店を出して下さると言う申し出も多数あったそうです。
でもママはそれを選びませんでした。
幼い頃から祖父の手伝いで料理をしていたこと。
仕事柄、美味しいものをたくさんいただく機会に恵まれ 
それを記録し、研究していたこと。
そして私がどんなに高級焼き菓子があろうとも
おともだちが遊びにきた時には
「これね、ママのお手製のお漬物。とっても美味しいから食べてみて」と
振る舞っていること。
更にママのお漬物を食べたおともだちのお母さんから
「子どもが美味しかったから作って欲しいと言われたので
レシピを教えて欲しいです」と仰っていただけたこと。

ママは郷土料理のお店を開くことになったのです。

そして私。
バレエにピアノ お習字、英語、水泳教室。
いろいろなお稽古事をさせてもらいましたが

バレエは3日
「疲れちゃうから」との理由で。
ピアノは初日
「先生のお家のワンちゃんが怖い」
水泳教室も初日
「お揃いの水着がオシャレじゃない」
英語は7ヶ月
幼児クラスのカリキュラムを1ヶ月でクリア
小学生クラスのカリキュラムも半年で終了
その後は
「覚えたことばかりでつまらない」から。
お習字は2年
「子どもの1級を取得し、満足しちゃった」
何ひとつ長続きしなかったのです。

ある日私は母の姉と一緒に上野駅に行きました。
伯母は丸顔で祖母によく似た可愛らしい女性でした。
私と伯母はよく似ていると言われ親子に間違われる事もありましたが
私はママのシュッとした顔が大好きだったので
伯母と親子に間違われるたびに不貞腐れてしまう困った子でした。

その日も知らないおじいさんから話しかけられました。
「可愛いお嬢ちゃんだね、おやお母さんと一緒かい?
お母さんに良く似た良い子だね。ちゃんと親孝行するんだよ」そう言って
私に1000円札を握らせたのです。

伯母は 私がいつものように
「違います!ママじゃありません!」そう言って
怒り出すんだろうと眺めていたら

にっこり伯母の手を取りながら
「おじいさん、ありがとう。うん私、お母さん大好きだから
親孝行します」
おじいさんは涙を流し「良い子だね」そう言いながら
お財布からもう1000円出したのでした。

このエピソードを聞いたママは大笑い。そして
「お芝居、やってみる?」
私は児童劇団に入ることになったのです。

一国一城の主となったママと
子役デビューした私のお話はまた次回で。






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