悩みナッシング
似たような境遇の誰かに刺さる文章を、と言われても、おおむね似たような環境から発信したいと思っている人はたくさんいるだろうし、何度かお話ししているように特異なのが明らかな珍しい過去や経歴もない。自分で体験している途中であれば紛れもない不幸、けれども過ぎ去ってしまえば『よくあるパターンの』ものでしかない。あのとき物凄く辛かった、けど立ち直りました、貴方もがんばれ、なんて他人に説教できるほどの経験はしていないと思っている。
無気力ニートで1年くらいムダにしたのも預金残高が4ケタになったのも事実ではあるが、人間、心から『やべえ』となったら行動を起こすしかなく、その結果とりあえず何とかなっているからそれほど深刻な事態でもなかったのだろう。今にして思えば。自分で変えようと試みて変えられるものなら、変えてみるのがいちばん早い。ちなみに今の職場は6カ所目だ。
本当に深刻な悩みというのはもっとこう、自分だけの力では如何ともしがたい環境そのものとか自然災害とか、予想されうる避けがたい未来とかいった規模の大きな現実、あとは自分よりも周りの人、とりわけ家族に起因するものではないだろうか。そこら辺については今の段階で何もない私でさえ、一度考え始めると不安ばかり募っていく。
いずれは親の面倒を見なければならないし、仮に現在の延長線上の未来を想像したなら孤独死の可能性は高いだろう。その前にもし南海トラフなど起こったなら直撃も免れられない地域に住んでいるし。いち個人での対策に限界がある事柄について考えるのはいつでも気が重いので、災害はまた別としても、まだ起こっていない考えても仕方がないことは考えないことにしている。
家庭や所帯といったものはこれまでワザと避けてきたとろこがあるので、孤独死はまあ仕方がないかもしれない。これまで勤め人としてのキャリアに何の興味も関心もなく、ただ夢だけ追ってきた。そんな命を張ったギャンブルに誰かを巻き込むわけにもいかない。というわけで今しばらくは独り身だろう。気楽さとたまの人恋しさは背中合わせ、そこに目を瞑ればまあ不自由はない。悩むほどの何かも。
ヒトは動か(け)ない理由を作るために悩み事を生み出す、なんて言説も見たことあるし、悩むよりは自分にできることから行動してみるほうが簡単な場合もあるんじゃなかろうか。行動といっても別に大した事でなく、普段お世話になっている人に感謝の言葉を述べてみたり、察してほしいと思わずにきちんと意思表示したりとか。大きな動きも、そこに至るまでの小さな行動の積み重ねがあってのこと、のように思う。
自分事ではあるけど、今日死ぬか明日死ぬかで悩んでいたのに比べれば、他はだいたい些細な事よね。大丈夫さ。