智慧の翳り、信仰のゆらぎ
二〇二〇年代ももう末期となり、スマートフォンが一般に普及し始めてから二十年ほどが経ちました。今や、およそ八割もの人が個人でスマートフォンを所有している時代です。
パソコンやネットワークの知識がない人でも簡単かつ手軽にインターネットを利用できるようになると、インターネットを介して様々なサービスが提供されるようになり、多くの人々にとって、情報通信技術はより身近で便利なものとなりました。技術の進歩とともにサービスの質もどんどん向上し、ユーザーはその恩恵を享受していたのですが……。
サービスの品質向上とともにどんどん増大していったのが、データ通信量でした。各携帯電話会社から様々な料金プランが提案され、それまで馴染みの薄かった『ギガ』という接頭辞が広く知れ渡り、各社のキャンペーン展開のせいもあってやがて『ギガ』という言葉だけが独り歩きするようになりました。
月末になると、人々は口々にこう言います。
「ギガが減る」
「ギガがない」
「ギガが減る」
はじめのうちは、言葉の使い方として間違っている、と声を上げる人も確かにいました。『ギガ』はそもそも単位ではないと。けれど、特段の勉強をせずとも誰もが情報通信技術に触れられるこの時代、多くの人々はそんなことまで気にしません。直感的な分かりやすさと語感の良さで、瞬く間に受け入れられていきました。
「ギガが減る」
「ギガがない」
「ギガが減る」
そうして、徐々に『ギガ不足』は深刻化してゆきました。そんな中、次の十年を目前に控えた今になって、利用可能なデータ量が『ギガ』を超える、新しい料金プランが提供され始めたのです。
テラバイトの時代を迎えた当初、人々は『ギガ』よりなお馴染みの薄い『テラ』という言葉に、戸惑いを隠せませんでした。ですがしばらくの間をおいて『テラ』が『ギガ』のひとつ上、ギガよりも『もっと大きい数を表す何か』であることが分かってくると、皆次々と喜びをあらわにしました。『ギガ不足』に悩む時代は終わったのだと、その時は思われていました。
しかし、データ容量だけに限らず、あればあるだけ使ってしまいたくなるのは人間の性なのでしょう。人々の欲求はとどまるところを知らず、それにともなって各種サービスのクオリティも向上し続け、データ通信量は瞬く間に増えていきました。
その結果、人々は再び騒ぎ出したのです。過去と違ったのは、人々が口にする接頭辞の種類だけでした。
「テラが減る」
「テラがない」
「テラが減る」
そんな状況を報道で知った老夫婦は、嘆き交じりに言います。
「ばあさんや、このごろ寺が減っとるらしいぞ」
「おやまあ……今の若い人は、仏様に手を合わせたり、しないんじゃろうかねえ」
この時代、人々が信仰するのは神仏ではなくユーチューバーで、祈りをささげるのはソーシャルゲームのガチャなのかもしれません。