生存不適格
失命嗜好
『死』というものに初めて興味を抱いたのは、小学六年生の頃だった。
きっかけは大したことではなかった。いつも目にする夕方のニュース。よくある交通事故で同い年の女の子がひとり、死亡。
当事者以外の誰もが次の日には忘れる、よくある話。けれど。
そのときなぜか、ある疑念が湧いたのだ。
わたしの心に、ぽつり……と。
『死って、どんな感覚なんだろう?
死ぬって、どんな気分なんだろう?』
人は死んだらどうなるのか、とか、魂とか天国地獄とかはどうでもよかった。
ただ『死』という事象にだけ、わたしは興味を抱いた。
※
「うわ……キモッ……」
「――えっ?」
それから数年経ち、高校一年の冬が終わろうかという頃だ。
死への興味は歳を重ねるごとに強まっていき、朝の読書の時間にはひたすらホラーやサスペンス、要は登場人物の死が絡むであろう作品ばかりを選んで、読みふけっていた。
だが、あるとき気付いたのだ。世に出回っている作品で、わたしの興味、いや、欲求を満たしてくれるほどの、壮絶な死に様を描いたものはないと。
無いなら書いてしまおうか――現実に気が付いてからわたしがペンを執るまでに、さしたる時間はかからなかった。国語の成績も悪い方ではなかったし、帰宅してからの趣味といえば『興味のある分野』に関する調べものくらい。アウトプットの準備は整っていたのである。
書くものはほぼ全てが短編だった。単純に、とにかく多様な『死』を表現したかったからだ。たくさんの話を書いた。創造主たるわたしの手で、登場人物の何人もを殺して、殺して、殺して、殺して。
わたしはだんだんと、人を死なせる行為に悦楽するようになった。お話の中の、架空の人物とはいえ。
最初は自己満足で終わっていた。が、創作物を他人に見てもらいたい、という欲求は創作者なら誰もが一度は持つだろう。家族に、は恥ずかしかったから、まず仲のいい友達数人に原稿を見せた。自分が普段からそうしているように、普通に読んでもらえるだろうと思っていた。
この頃はまだ知らなかったのだ。自分の趣味嗜好、感覚が、周りのそれと比較して『異常』だということを。
作品を読み進めた友人が放った第一声――想像もしなかったひと言が、わたしの心を叩き割った。
半死半殺
死にたい、と思うようになった。
わたしは、生きていてはいけない人間なのだと。
自分の『作品』が人目に触れてから、瞬く間に――学年がひとつ上がる頃には、わたしは『キモい女』として認知されていた。妄想の中で誰彼を惨殺しては悦に浸る危険人物、概ねそんな感じだ。
もとより友達が少なかったから誰かに擁護されるでもなく、だからといって身内に相談できる話でもなく。教室の隅で置物のように鎮座する日々が続いた。他にすることもないので教毎日飽きもせず繰り返される陳腐な雑談に耳をそばだてると、聞こえてくるのは大概ドラマかアイドルの話、でなければ色恋沙汰くらいのもの。とても価値の感じられる話ではなかったが、なるほど確かにわたしと同じ事象に興味や関心を持っている者はいないようだった。
ごく稀にヒソヒソ話が漏れ聞こえることもあって、そういった場合に耳に届くのはこの置物に対する罵詈雑言、悪評がほとんどだった。人間、価値の認められない、もしくは分からないモノに対してはああも排斥的になれるものかと、妙なところで感心したものだ。なるべく気に留めないように心がけていたが、やはり精神的な苦痛は免れられなかった。
死のう、死のう。死にたい、死にたい。きっとそれがいちばん良い。
わたしは徐々に神経をすり減らしていき、後ろ向きな思考に囚われるようになった。生きるのが辛い、だから死ぬ。もとより死を追及していたわたしには、それが自然な流れのように思えていた。とにかく命を絶ってしまえればいいと、漠然と『死』に惹かれていた。
だが――そんな時、ふとした欲望が脳裏をかすめた。
どうせ死ぬのなら、殺してからでも良いではないか?
死ねばそれまで、命はひとつだ。自分の命を失わずに、生命体の死に触れる唯一の方法、それこそ。
妄想の中の行為を現実に。これもまた、多くの人間が望んでやまないこと。それを、叶えたい。
いや、叶えるのだ。
※
わたしは学校に行かなくなった。
日中は両親とも仕事に出ている。登校するフリだけしておけば、あとはやりたい放題だ。
空いた時間を使って、足しげくホームセンターに通った。少々のお金を出せば殺しに使えそうな道具がいくらでも手に入る。包丁一本あれば立派な凶器、毒物まで言わずとも除草剤や殺鼠剤など『生き物を殺す薬』にも事欠かない。日ごといくつかの物品をピックアップし買い求めては、殺人の計画を練っていた。
計画といっても、そう大層なものではない。どうにかして家に連れ込み、スキをついて刺すなり殴るなり……その程度だ。女子の手でも人を選べば充分に可能な範囲だろう、わたしに迷いはないのだから。
となると案ずるべきは殺すに適した人間を調達する方法だ。これにはさすがに頭を悩ませていたのだが、喜ばしいことに、チャンスは向こうからやってきた。
家にいるようになってから数日が過ぎた、ある日の夕方。不意に響いたドアホンの音で玄関の扉を開けると、一人の女子生徒が立っていた。友人――だった人だ。例の原稿を見せるまでは仲の良かった、あの。
「プリント……渡しておいてって、先生が」
天啓だ。そうとしか思えない。
「ありがとう! 一休みしていきなよ、コーヒー淹れるから」
「……怒ってないの?」
「全然。平気だよ」
ほとんど口を利かなくなったとはいえ、彼女とは旧知の仲だ。向こうの家に招かれたことも、こちらに招いたことも何度もある。彼女としても作品に対する嫌悪感とわたし自身に対する感情とは別のようで、ぎこちない気遣いがなんとなく見て取れた。
思いのほかすんなりと彼女を家に上げることができ、わたしは心のうちでほくそ笑んだ。後は逃げられさえしなければ、あらゆる手を使ってどうとでもできる。
彼女をダイニングテーブルに着かせ、飲み物の準備をする。彼女の席からだとキッチンは背中側、多少の小細工にまで目は届かない。湯を沸かしつつ、戸棚の片付けを装って、必要になるかもしれないあれやこれやを取り出しやすい位置に寄せて、道具の準備は完了だ。もちろん、コーヒーも普通には出さない。
「どうぞ」
手近なカップとソーサーを用意し、テーブルへと差し出す。手が震えやしないかと心配したが、わたしは自分でも驚くほど落ち着いていた。期待に満ち溢れていたからかもしれない。
「ありがとう」
ややあって、彼女が中の液体を啜る。反応はすぐあらわれた。
「げほッ!? かは……これ何……!!」
せき込む彼女。カップの底にはあらかじめ多めにタバスコをたらし、コーヒーを注いだ後で食器洗い用洗剤を投入してミルクで見た目を誤魔化しておいた。これだけで殺すほどの効き目はもちろんないが、それでいいのだ。気の緩みきった相手を、動揺とパニックに突き落とすことさえできれば。
わたしはといえば、彼女の手によってカップが浮いた瞬間から凶器を手にするため動いていた。両の手で握ったフライパン――サイズは小さめ、しかし鉄製でずしりと重いやつ――を、もがく彼女の後頭部に向けて力いっぱい振り下ろす。まずはフライパンの側面を使って一撃、次いで底面で一撃。相手の意識が朦朧とすればあとはこっちのもので、スカートのポケットに忍ばせた紐を取り出し、首に巻きつけたらこれも力いっぱい締めに締める。打撃がよく効いたおかげで、ひどく暴れられることもなかった。
息が止まる。腕から、首から、全身から力が無くなる。うなだれ、手指がだらりと下がり、その姿は糸の切れた人形のように――。
これだ。これが、死。
生命活動が停止に切り替わる瞬間。わたしが求めてやまなかったもの。
わたしの背中をぞくりとしたものが駆け抜けた。これまでで最も純度の高い愉悦と少しばかりの背徳感。わたしはずいぶん久しぶりに、心からの満足を味わった気がした。
ひと息ついたあと、もう一度彼女の遺体を殴ってみた。間違いない、死んでいる。後の処理のことまで考えていなかったので、とりあえず自室まで運んで押入れに突っ込んでおいた。血もそれほど流れておらず、掃除さえちゃんとしておけば一日か二日はバレないだろう。気付かれる頃にはわたしはこの世にいない。
念のために弁解しておくと、彼女を特別恨んでいたわけではない。わたしが人を求めていたときに、たまたま彼女が現れた、簡単に言えば都合が良かっただけのことだ。たとえ老人や子供相手でも見ず知らずの人を連れ込むには労力がかかるし、まったく無関係の人間を殺すのは悪い気もした。その点、顔見知りならもう少し気兼ねなく別れを告げることができる。
それはさておき、いよいよ取り返しのつかないとこまで来てしまった。
彼女が行方不明となれば何らかの嫌疑がかかるのは明白だし、不登校も隠し切れるものではない。わたしは欲望に忠実でありたいから、誰であっても捕まるのはごめんだ。とりあえずあとわずかの間でも自由でありたい。そのためにまず障害になりそうなのは、言うまでもなく両親である。ではどうしたものだろうか? 答えは簡単、もののついでだ。
寝込みを狙って、ガムテープで口を塞いで鈍器で頭を。
不思議なものだ。寝ているのとほとんど変化がないのに、変わり果てた姿と形容せねばならないのは。
やり方の詳細は省く。もとより過程には興味はない。世の中にはモノがあふれているから、使えそうなものを使えば大概のことはできる。穏便に済むかどうかは別として、だが。
わたしはやはり、待ち焦がれた瞬間を目の当たりにして悦びに打ち震えていた。それも二度も。悲しみがないではないが、同じ墓に入ればあの世で顔を合わせることもあるのではなかろうか。いずれにせよ些細なものだ。
悲しみも忘れるほどの愉悦、それは間違いない。
にもかかわらず、何か物足りない。何かが――何かが。
自身の興味と欲望の根源は『死』だ。他者を殺すことで直にそれに触れ、満たされると思っていたのに。
もう一度考えてみよう。わたしは、どうしたい?
時間とともに喜びがしぼんでいくのを自覚しながら考えた。何がしたい? 何が足りない?
明りのない部屋、二体の亡骸を目の前に、思いを巡らせた。
そして、ひらめいた。まさに閃光の迸るような、目の覚める気付き。
「わたし、死んでみたいんだ」
希望自死
静まり返った家の中で、黙々と準備を続けていた。もちろん、死ぬ準備である。
これがたまらなく楽しかった。旅行やパーティに向けて計画を練るのと似たようなウキウキ感、といえば伝わるだろうか。
そう、わたしは一度でいいから『死んでみたい』のだ。少し前に覚えた『死にたい』という感情とは心の在り様がまるで違う。追いつめられたとか生きるのが辛いとか、そんな不純な動機ではないのだ。
純粋な興味、知的好奇心のあらわれとして、わたしは『死んでみたい』。だからこそ、殺しただけでは欲の全部は満たされなかった。
無論、何かを殺してみたかったのも本心であり、正直な欲望だった。死を目の前に発生させる、有効な方法の一つなのは疑いない。が、それはどうあがいても『他人が経験する死』を外から眺めるにとどまるのだ。殺しはただの手段でしかないから、最も重要な体験が伴わない。
殺す、という願いは満ちた。でもそれは、わたしの抱く欲望の半分に過ぎなかった。
もう半分は成就しておらず、だからこそ物足りなかった。
残りのもう半分の欲望、何物にも代えられない望みを、これから満たす。
広いリビングの梁見せ天井から輪のついたロープをたらし、すぐ下に手頃な椅子を配置する。ただ死ぬならこれで充分だ。だがわたしはもうひとつ、全身が映る姿見を正面に据えた。別に、母の形見だからとかいうのではない。この自死が暗い感情に強いられたものではないと、どうにかして証明したいがためだ。
「――できた」
わたしは天井から下がる輪を、大げさに見上げた。最初で最後にして、唯一最大の舞台だ。あと一息で全てが叶う。
恐れはない。こんな人間が生きたままなのはまあ迷惑だろうし、わたしに迷いはないのだから。
わたしは椅子を踏み台に、輪の中に首を通した。吊り下がる前に今一度姿見を確認すると、鏡面にはロープの先から垂れるであろうわたしの姿が全身きちんと収まっていた。スマホも忘れずに握っている。これで準備は整った。
唯一の足場だった椅子を蹴り飛ばすと、思いのほか派手な音がした。期待とともに力がこもっていたのだろう。すぐロープが首に食い込み、酸素と栄養の供給が遮断される。速やかに生命が絶たれていくのがわかった。猶予はあまりない。わたしは力を振り絞ってスマホを構えた。目の前の鏡に向かって。あらかじめ起動しておいたカメラの画面には鏡に映るわたしがいた。せっかくの記念撮影なのにハンドサインや笑顔を作るのは難しいようだ。それでもなるべく悲愴感を出さないようにとぎこちないながら微笑を意識する。焦点の合わなくなった目でもどうにかシャッターは切れた。最期の瞬間のわたしは美しいだろうか? 次があるなら生きたいだろうか死にたいだろうか? 短いながら満足とともに終わるなら人生は充実していたというべきだろう。最後に一度声を出そうとしたがやはり無理だった。good-bye――わたしに言い残す言葉があるとするならこのひと言くらいかと思