孤独代:1,100円也
もう誰でもいいからそばにいてくれと怒鳴りたくなるくらいさみしい夜はしばしば訪れる。
いつでも誘ってーと言ってくれる友人たちの顔が浮かぶものの、いや疲れてるかもとかでも明日会うしとかいう考えが邪魔をして、結局連絡することができない。
食うか食われるか、一触即発のぎりぎりな状態に耐えかねて、とてもこのまま部屋にはいられないと思った。文庫本二冊とハンカチとティッシュ、ちいさく折りたたんだ千円札二枚を入れたポシェットを下げ、コートのポケットに携帯とイヤホンと家の鍵を突っ込んで、逃げるようにして部屋を出た。
冬の夜を歩くのは好きだ。目的もないまま商店街をずんずん歩くうち、さみしさのあまり気がおかしくなりそうだった動物的な何かが身をひそめ、わたしは自分がただの孤独ないち人間であることを少しずつ取り戻す。
次の商店街へ突き進み、駅を超えてまたべつの商店街をぐんぐん歩く。すれ違うのは家路を急いでいるふうの人か、だれかと喋ったり笑いあったりしている人ばかりで、こうしてあてもなく歩いているのは世界で自分だけのように思えてくる。きりっと冷えた空気のせいか、孤独の輪郭がどんどんはっきりとしてくるような気がしたけれど、それはべつにそう嫌な感じでもなかった。
1時間近く歩きまわったあと、駅の近くのカフェに入った。このまま家に帰ったとて、どうせ事態はなんら良くならないことがわかっていた。
散々なやんだ末、ティフィンジンジャーとレバーのペーストを注文したのだけれど、レバーはすでに売り切れとのこと。それならばと、ぎりぎりまで迷っていたアンチョビポテトに変更することにした。
甘くておいしいティフィンジンジャーをひと口飲んで、そういえば外でひとりでお酒を飲むのははじめてのことだと気づく。程なくしてやってきたアンチョビポテトは、お皿いっぱいに盛られたフライドポテトのまんなかに、まるでアイスクリームのようにこんもりとまるいアンチョビバターが乗っかっていた。たっぷり付けてほおばると、こっくり濃厚なしょっぱさとあたたかさが身体中に沁みわたり、思わず頬が緩むのを感じた。やっぱり、あったかいものにして良かったな。
ポテトが半分くらいなくなった頃、耐えがたい孤独は少しだけなりを潜めていた。
ポシェットから吉本ばななの『ひとかげ』を取り出して読む。彼女の文章は孤独によく効く。孤独によく効く文章を知っていて良かったな。
途中、家でするのとおんなじように携帯をしおりにして本を閉じ、残りのポテトを食べすすめた。これを読み終えて食べ終えたら、大好きなバンドの曲を大音量で聴きながら歩いて帰ろう、と思う。
アルコールや音楽の力をかりて、せめて自分に酔うくらいしないと乗り越えられない夜もある。そうやって意図的に閉じ込めることで救われる夜が、たしかにある。
私の孤独は私だけのものだ
江國香織の短編小説「ねぎを刻む」の主人公のセリフが、何度もくり返しよみがえる。食われるくらいなら食ってやろうと思う。せめて、その気力があるときくらいは。
母の誕生日でもある今日は、そういえば2年前、恋人とはじめて出会った日だった。