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8/22-9/1 いつまでもしんどくて泣きたい

8月22日(水)

小走りで乗り換え、エスカレーターも歩いて上って一本早い電車に間に合った。
座った瞬間、全身から汗が吹き出す。鏡を見ると顔面はそう見苦しくなく、体感の発汗と見合っていない。頭皮だ、頭皮からは泉のように汗が次々わきだしていて、あと背中もびっしょり濡れている。当たり前だが制汗スプレーを吹き付けたところから発汗していて、いっそデオドラントシートで拭き取ってしまいたいけど、それじゃ制汗スプレーの効果とれてしまわないかい?と思うのでやめる。日焼け止めを塗った首筋や腕も同様、拭き取りたいけどまだ朝なので我慢する。塗り直すという概念はない。

汗だくの身体が耐えがたく、帰宅後即シャワーを浴びる。ようやく人としての尊厳を取り戻した。
夜、お好み焼きとやきそば。

ラブトランジット2期、一気見。人様の恋愛事情にやいやい言う。


8月23日(金)

終業後、最近はまっている高級スーパー・ヤマダストアーへ。
日常生活に必要のないものばかり買う。クリームを挟んだシフォンケーキ(5個入り)、ガーリックライス(焼豚がごろごろ入っている!)、タコキムチ、鴨にチェダーチーズをのせたなんかやつ、キャロットケーキ(大好物)を手に入れてホクホク。調子に乗ってぽんぽんカゴに入れていたらお会計が5,000円を超えていてびびった。でも大人なのでOKです!

そのあとかっぱ寿司で夜ごはん。
深夜、床で3時間ほど寝落ち。


8月24日(土)

思い立って西脇市の花火大会へ。着たい服がなさすぎて、いらいらしながら5回ほど着替える。服はこんなにあるのにどういうこと?
会場までは車で1時間半ほど。運転の練習。神戸以西は道が広くて交通量も少ないので、比較的落ち着いてこなせる。近頃は車線変更が難なくできるようになってきた。前まではサイドミラーに映る後続車の距離感がわからず、ぶつかりそうでなかなか変更できなかったので成長である。

公式サイトに5箇所ほどの駐車場が記されており「会場へのアクセス楽々!」的なことが書かれていたのだが、調べるとどこも会場まで徒歩30分かかる場所だった。アクセス楽々とは?

腹ごなしに播州ラーメン
あっさりした醤油スープなのだけどもほんのり甘くて、とてもおいしかった
畦道を通ってお祭り会場へ
ちょっと涼しい

夜店を冷やかし、あと30分ほどで始まるタイミングになって、わたしが体調を崩してしまう。
駐車場までは距離があるし、いよいよやばくなってから会場を離れるのでは遅いので、泣く泣く車をとりに向かう。あたりまえだが30分歩く。
帰路、幹線道路の小道に入ると、ちょうど花火が見えるスポットを見つけた。スポットというか、例によって畦道である。近隣住民であろう方数名に交じって眺める。結果的に混雑を避けられて良かった。

帰り道、小腹がすいたのではま寿司に寄る。


8月25日(日)

淡く二度寝して10時過ぎに起きる。
昨夜から予定していた通り洗濯を回し、あらかじめ決めていた服に着替え、テーマを決めて丁寧にメイクし、数時間で帰ってくるのでひさしぶりにポニーテールにして(長時間だと頭痛がする)、書店へ。平日も朝から晩まで書店にいるが、まったく別物の浮き足だった気持ち。
休日に好きな格好で書店にいること、とんでもなく幸せ!弛緩した心持ちで店内をたゆたう。自社の本が多いジャンルはうっすら目を逸らしつつ、文芸、コミック、人文書の棚をなめるように眺めた。図書カードと溜まっていたポイントで6,000円強のお会計をまかなう。

戦利品
本とお菓子と珈琲
人生でいちばん好きな時間

芥川賞受賞作2作、『うみべのストーブ』読了。
テーマからして『サンショウウオの四十九日』の方が気になっていたのだが、「山岳小説か……あんまり興味ないかも」と思っていた『バリ山行』がめちゃくちゃおもしろかった。六甲山はじめ知っている地名が山ほど出てくるせいもある。肩で息をするような読後感だった。

『うみべのストーブ』に、わたしの話だと感じてしまった一篇があった。書くことを仕事にしている友人に対して、会社員の桃は憧れをおぼえている。

普通に働いて
普通にストレス溜めて
時々嫌なこともあるけど
優しい恋人がいて
普通に幸せ

切実に書くべきことが何もない

悔しい 書かなくても幸せで居られるのが

海の底から

書きたいことが何もなくなった自分に対して「感性が枯れちゃった気がする」と話す桃に、恋人は「桃はいま生活の基盤を築くために頑張っていて、それは(マズローの欲求五段階説の)ピラミッドの下の方の土台をつくること。ピラミッドが積み上がってきたらまた書けるようになるかも」と話す。「桃の友人にとっては、書くことがピラミッドの基礎にあることなのかもね」とも。

はっとした。そうなのかも、そうだったらいいな。ぼんやり燻っていた感情をすくいあげられたような気がした。胸が苦しかった。


8月26日(月)

夏休み。『インサイドヘッド2』観る。
シンパイが目に涙をいっぱい溜めてフリーズしてしまうシーンで、我慢できなくてわたしも泣く。わかるよ、わたしもそんなんばっかりよ……。
大人になったら「アイソワライ」とか「ショセイ」とか出てきそう。それは感情じゃないか。


8月27日(火)

帰宅後、19時から1時過ぎまで寝る。こんなに早く帰ってこられるのに超ホワイトなのに連休明けなのに、疲労がすごい。
労働について文章を書きなぐり、3時半ごろまた眠る。


8月28日(水)

バスから降りると横殴りの大雨で視界が霞んだ。
反射的にワクッとする。天候由来で気持ちが落ちることも多いけど、すでに落ちているときの悪天候はちょっと元気になれる。 

移動中、クリープハイプのトリビュートアルバムを聴く。みんな言ってるけど良すぎた。エモさがすべてかき消されたウルフルズの「二十九、三十」、まるで別の曲みたいで愉快だった。

仕事、なんだか気持ちがうまくいかなくて、どうすればいいのかわからなくなってしまった。こんなはずじゃなかったのにな


8月29日(木)

aikoのアルバム、聴くならちゃんと聴きたいと思いつつ聴けず、でもこのままじゃ一生聴けなそうと思って通勤電車で解禁した。しかしやっぱりうまく頭に入ってこない。

かつては発売日を待ち焦がれ、静かな部屋で緊張しながら歌詞カードを開いて、歌よりも先に歌詞を読んでしまわないよう気をつけながら、全身全霊でCDを聴いていたことを思う。
やろうと思えばいくらでもそのための時間は見つけられるのに、気力の面でそれができなくなってしまった。だれかを批判する強い言葉と美容情報を喧伝する薄っぺらくて派手な言葉とインフルエンサーのゴシップで埋め尽くされたTwitterばかりを虚無で見てしまう。『花束みたいな恋をした』で「就職してからパズドラしかできなくなった麦くん」、ネットで擦られすぎて映画の記憶よりもミーム的な印象の方が大きくなったな。


8月30日(金)

本来は東京出張の予定だったが、台風接近に伴い延期になった。
終業後、運転の練習を兼ねて回転寿司屋へ。今日は我々の最推し「魚べい」へ。お寿司が好きすぎるし食べすぎなので、項目別・回転寿司チェーンランキングとか作りたい。
帰路は暗くて雨が降っていて怖かった。

2時間ほど床で寝落ち。最低限のことだけ済ませて2時半ごろ就寝。


8月31日(土)

14時過ぎまで寝た。
台風が嘘のように晴れている。夕方、近くの商業施設まで運転。スーパーで食料品を買い、サーティワンでアイスを手に入れて帰宅。
夜はひさしぶりに料理。山本ゆりさんのフライドにんじんを作ったはずなのに、べちゃべちゃのにんじんの化け物みたいなのができあがってしまった。なんで?

aikoのアルバム、ひとりになったリビングで歌詞カードを見ながらあらためて聴きなおす。


9月1日(日)

友人からもらったLINEギフトの期限が昨日で切れていたことに気づいて落ち込む。何回目だろう。リマインドしてよ……。

aikoの情熱大陸を観る。
純粋にaikoを好きな気持ちがばかでかいのと、aikoの生き様がすごすぎて圧倒されるのと、それとは別で自分に顧みる部分が多すぎるのとがごっちゃになり、なんかずっと嗚咽していた。

おととい開催されたアロハ(不定期開催のフリーライブ)の設営現場を見てaikoは、「みんなすごいよ」って泣いていた。26年もやっててまだその感情になれるんや。
ライブやテレビ出演の前も、いまだに毎回緊張するー!と言っていて、それが本心だとわかるからこそ、底知れない謙虚さと人間力の高さを感じる。だから好きなんよな、って改めて思う。

昔は好きな人と手を繋げた時のわっえぐい!すごいなんやろこの感触!みたいな気持ちを歌にしたかったけど、今は相手に思いが伝わらなくてすれ違ったり別れたりした後の余韻で自分は何を思ってるか、みたいなのを書くのが楽しい 
変わっていきますね、食べ物の好みみたいに

と話していて、変わってもいいんやと思ったし、それでもaikoは恋愛の歌を書くんやなと思った。

がんばりたいやめたくない。自分が多分思ってる歌手になりたい。そこにいくには全然がんばりが足りない、さぼってるんですよまだまだ 
もっと本当は一生懸命やりたいけど、自分は人間やからとか48やからとかこれは仕方がないとか、諦めてるところはある気がする 

同じ土俵で考えるなんておこがましいにも程があるけど、こんなにがんばってるのに全然がんばれてないって泣くaikoに、引き換え自分はいったい何してるんやろうって情けなく思ったし、aikoにとっての恋愛ソングみたいにわたしも本の仕事をしたい、んやろうか、少なくとも同じ切実さでしたかった、と思った。感情がぐちゃぐちゃになって涙が止まらなかった。仕事や人生に対する真摯さ、切実さがまぶしくてすごくて、ああだからずっと好きなんやと思ったし、自分はそういうふうに向き合えてるやろうか、いや向き合えてない、と思ってかなしくて、情けなくて、最近の仕事に対する気持ちとかがんばりかたとかを思うにつけ、信じられないくらい涙が出た。ずっともやもやしていることをがんばれてない自分を、ちゃんと見ようとしてでも我慢できなくて目を逸らしたりしていたけど、否応なしに突きつけられた気がした。

正直こんなに感情が揺さぶられるとは思ってなくて、しんどかったけど、いつまでもaikoの一途さに感情を揺さぶられる自分でいたいなと思った。いつまでもしんどくて泣きたい。それが本来の自分だと思っているふしがあるので……。
ちょっと安心したところもある。この間書いたアルバムへの向き合い方の変化とかもあって、日々の雑事や仕事の疲労にかまけてインスタントな娯楽に流れてしまう自分、言語化を怠って投げ出す自分、静謐な心で落ち着いて好きなものに向き合えなくなってきた自分に落ち込んでいたけど、まだ完全になくなったわけじゃないんやと思った。

aikoは自分の感情、自分の苦しみに、自分ひとりで向き合っていた。わたしもそうでなければならないと思った。たとえば適当に愚痴を放って、やけ食いして不貞寝して、ごほうびとか言って買い物したり気晴らしをしたりして、それはそれでもちろん必要なことやけど、根本的な解決にはならないってわかってるならば、苦しいことに、苦しみながら、自分ひとりで向き合う必要があると思った。めんどくさいからってその場しのぎでやり過ごして逃げてたってだめやと思った。目先の楽さだけを優先した自分に不誠実なふるまいは、いつか必ず自分へのダメージになる。
バリキャリになるとかそういう表面的なやつじゃなくて、生き様、人生において何を大事にしたいかとか、何かを為さなくても別に良いから、どういうふうに生きたら自分は納得できるのか、とかを見つめなおすべきと思った。

出版営業、3年目に入りました。ひとつの会社でこんなに長く勤めるのは初めてです。

己の適性への疑問とか、自分と周囲の評価のギャップとか、己の理想と現実の乖離ぐあいとか、大荒れの情緒に振り回される今日この頃ですが、なんとか擬態しながら、なんとかもうちょっとやっていきたい。せっかくいただいた環境なのでできるところまではやってみたい。
9月もお寿司をいっぱい食べます!

今週のうさぎ

うさぎは普通こんなふうに寝ません。気許しすぎ。

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