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夢追い人と、夢を追う
2018、あけました。
記念すべき(?)今年初エッセイ。そんな今回は、わたしの夢の話をしようと思う。
わたしは現在21歳、大学3回生だ。
将来について考えたり悩んだりするのに、最も適した時期である。
お約束通りに春からこっち、存分に考えたり悩んだりしまくったのち、ようやく、自分の進むべき道を見つけたと思っている。
わたしが、2018年に叶えたい夢の話。
複数回にわたってnoteに載せていたことでもあるのだけど、わたしはずうっと文章を書く人になりたくてなりたくて、でもそう上手くはいかなくて、悩み倒す日々を過ごしていた。
悶々としながらも細々とエッセイを書き続ける中、わたしは一つの結論にたどり着いた。
とりあえず、
「何者かになりたい欲」は一旦置いておこうじゃないか、と。
エッセイストになりたかった。というか、今もその気持ちが完全になくなったわけではない。
でも今は、それよりもっと、ほかにやるべきことがあるんじゃないかと思ったのだ。
日々の暮らしを綴ったり、目に見えない感性を具現化するエッセイストにとって、何より大切なのは「経験」である。いくら文章能力が優れていようとも、変化のない日々では書くことが尽きる。それに、小手先の薄っぺらな文章だけでは、人の心は動かせない。
今のわたしには、何よりもその経験が足りない。
もっといろんなものを見るべきだ。感性(しかもそれほどに優れているわけではない)だけに頼っていては、いつか必ず弱くなる。ずば抜けた天才でないのなら、それをカバーできるだけの、糧となるような経験を。でもどんな。
何にしろお金は必要だから、社会に出て、働こう。
どんな仕事がいいだろう。
いまいちやる気の出ないまま、それでもたくさん考えた、そして、
編集者になろう、とわたしは決めた。
その結論に至るまでにも、うんと紆余曲折を経たのだけれど、今回は端折って大きな理由だけ述べることにしよう。
まず第1に、わたしは夢追い人が好きだ。自分の掲げた目標に向かって(特に芸術分野において)、一生懸命努力している人が大好きである。だって、かっこいいではないか。
そして、幼い頃からずっと変わらず本が好きだ。漫画も、絵本も大好きだ。
その2つを併せて考えてみたとき、わたしは編集者になるしかないじゃないか、と使命に近い強さでそう思ったのだった。
高校生の頃は、漠然と雑誌の編集者になりたいな、と思っていた。当時から、何かしら文章を書くことに携わりたいと考えていた。
そう、このたび期せずして、少し形を変えた原点回帰をすることになったのである。
今のわたしは、紙面を作りたいというよりも、作家と共に作品をつくり上げてみたい。
誰かが夢をかたちにしてゆくその課程を、誰よりも側で支えたい。その気持ちでいっぱいだ。
編集者というのは、多くの人に夢を与える作家自身に、夢を与える仕事なのではないだろうか。
作品を読んだ自分の言葉が、作家にとっての大きなきっかけになりうるかもしれない。時には、自信やモチベーションや、やりがいとなるのかもしれない。
そう考えると、編集者ほど素敵な仕事なんて滅多にないんじゃなかろうかと思えてならないのだ。
まだ内定どころか選考もはじまっていないのに、そんな作品づくりを想像するだけで、もうどきどきしてしまっている。その前に、もっとどきどきすべきことが山積しているというのに、ただの阿呆なんである。
でも、阿呆のままでいいんじゃないかという気もしている。
「就活」という大きなひとくくりに拒否反応を起こしていた自分が、ようやっと前向きになれたのだ。下手にシビアな現実を見つめすぎると、ぽっきり折れてしまう可能性がとてもある。
そうなるわけにはいかない。
だったらこのまま、がむしゃらにがんばってやれるだけやってみて、それでだめだったらその時にまた考えればいい。わたしは、そういう方向性でやっていくことに決めたのだ。
そんなわけで「エッセイストになりたい女子大生」は、「編集者になりたい女子大生」になりました。
書き手になりたい一心で、少なからずあがいた経験を持っていることは、編集者を目指すうえでもきっと糧になるのだと信じたい。
お正月を理由にたらふく食べ、うさぎと戯れることしかしなかった日々には、そろそろここらで終止符を打とう。えすぴーあいとか時事問題とか、再び一生けんめい取り組もう。
クリエイティブなことではなくなったけれど、今もわたしが一夢追い人であることに変わりはない。
いつか、憧れの人たちと同じ場所に立てる日が来ることを信じて、今日もわたしは夢を見る。