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この気もちはなんだろう

『春に』という詩に出会ったのは、中学1年生のときだった。
廊下の黒板に記されていたその詩の前で立ち止まり、目を奪われたことを覚えている。
きれいな言葉だ、と思った。そして、「なんでわかるんだろう」とも。

爆発しそうなエネルギーを持て余し、葛藤を言語化する術をまだ知らず、笑い出したいような泣き出したいような思春期のもどかしさを、この詩は代弁してくれている。
それは静かな衝撃だった。

2年後。中学最後の合唱コンクールで、わたしのクラスは『春に』を歌うことになった。
谷川俊太郎の詩を元にした混声合唱曲。「この気もちはなんだろう」から始まる印象的なメロディーをご存知の方も多いのではなかろうか。
ひそかに思い入れの強い身として、この選曲はものすごくうれしかった。

わたしはいわゆる「ちょっと男子、ちゃんと歌って!」系の女子だったため、同じ吹奏楽部の子と中心になって練習を取り仕切りはじめた。
目指すは当然、金賞である。

ライバルは3年9組。リハーサルを聴くと、明らかに頭ひとつ抜けてうまかった。
巧い、というべきか。歌唱力の高い子が多く、音程が外れることもない。とにかく合唱としての完成度が高かった。
しかしながら、学校内のコンクールとしては大きな欠点があった。まじめに歌わない男子が多々いたのである。舞台に並んだ時、明らかにだらしなく立ち、ろくに口を開けずにやる気のない姿勢を見せている。これが評価に大きな影響を与えるであろうことは、想像に難くなかった。

対して我らが3組、歌唱力は決して高くない。
その代わりといってはなんだが、各人のやる気に関してはなかなか良い線をいっていた。当初、男子は男子らしくふざけたりへらへらしたりしていたが、われわれの熱い説得のせいか(詳細は忘れた、思い出したくはない)、徐々にまじめに歌ってくれるようになった。波はあったが、おおむね練習は好調だった。

女子はもとよりなんの心配もなかったため、「男子がちゃんと歌ってくれるかどうか」が練習の主な懸念だった。
わたしの情緒は、男子の熱量に応じて日々変化した。当時の日記に「男子がちゃんと歌ってくれる。それだけでこんなに嬉しい」みたいなことをアツく書き殴った記憶がある。本気と書いてマジと読む、そのくらい真剣に金賞だけを見据えていた。

いよいよ合唱コンクール本番。
伴奏を担当していた課題曲の第一声めを聞いた瞬間、「いける」と確信した。明らかに練習よりも声量が大きく、やる気のあらわれとしては満点だった。聞きようによってはがなっているともいえたが、何度でも言う、これはやる気を最重視される校内のコンクールである。

上々の出来で課題曲を終え、ついに自由曲の『春に』。
最高だった。恥ずかしい話だが、今でも思い出すと涙が出そうである。
後半「心のダムにせきとめられ」という歌詞があるのだが、わたしたちは「心」の部分で大胆に溜める歌い方をしていた。その"溜め"の部分でわたしは感極まり、あやうく本番中に泣き出すところだった。
なんとか我慢して舞台を降り、あとは結果発表を待つばかり。

「銀賞、3年9組!」と聞こえた瞬間からもう泣いていた。
悲願の金賞。学生生活の中でも格別の喜びであった。
部活漬けだった中学時代の数少ない彩りとも呼べる、あの日々は紛れもなく青春だった。

この気もちはなんだろう
目に見えないエネルギーの流れが
大地からあしのうらを伝わって
ぼくの腹へ胸へそうしてのどへ
声にならないさけびとなってこみあげる
この気もちはなんだろう
枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく
よろこびだ しかしかなしみでもある
いらだちだ しかもやすらぎがある
あこがれだ そしていかりがかくれている
心のダムにせきとめられ
よどみ渦まきせめぎあい
いまあふれようとする
この気もちはなんだろう
あの空の青に手をひたしたい
まだ会ったことのないすべての人と
会ってみたい話してみたい
あしたとあさってが一度にくるといい
ぼくはもどかしい
地平線のかなたへと歩きつづけたい
そのくせこの草の上でじっとしていたい
大声でだれかを呼びたい
そのくせひとりで黙っていたい
この気もちはなんだろう

春に / 谷川俊太郎

この動画のコメント欄に、「今年の合唱曲、「春に」になりました」という中学生と、「この曲を連日歌い込んでいたときから20年は経ちましたが、今聞いてもこの気持ちはなんなのかわかりません。でも思い出は鮮やかに蘇ります」という大人が並んでいた。

この詩が収録されているのは、なんと1983年発売の詩集『どきん』とのこと。
令和の今もなお、鮮やかに息づいている。これからもきっと、多くの人の中で生きつづける。

谷川俊太郎さんのご冥福をお祈りいたします。

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