ハグのちから。
このごろ小4息子が「ハグしてもいい?」とやってくる。
9月に10歳の誕生日を迎え、「ハグは年3回までね!」と言われていたから、母としてはこうしてやってきてくれるのは正直嬉しい。
精神的に不安定なのか、それとも何か心配ごとがあるのか、そんな時にはハグを求めてくる息子。ぎゅっと抱きしめてくれる息子を、ぎゅっと抱きしめ返す。私は自然と頭もなでなでしてしまう。いくつになってもやっぱりかわいいのだ。私はいつか、ちゃんと子離れできるのか…
そんなことはいいのだ。
まずは、今を大事にしないと。
* * *
学校で嫌なことがあったとき、朝なかなか起きられないとき、その日には苦手な教科がある朝、給食に好きじゃないメニューが並ぶとき、…。
挙げていけばきりがないのだが、ちょっとでも心配ごとや不安なことがあると「ぎゅぅしてもいい?」と言ってきていた息子。今年に入ってからは『ぎゅぅ』が『ハグ」へと呼び方が変わった。回数も以前より減ってしまった。成長したということだろうか。
それが、ここのところ求めてくる頻度が増えたのだ。
でも、以前はわりと一瞬だったハグの時間が、最近はちょっと長め。
すごく落ち着くのだという。
ちょっとしたことでも不安になってしまって、涙してしまう息子。目をうるうるさせながらも、ハグしながら自分に何かを言い聞かせるように、自分で自分を納得させるように、頑張っているようにすら見える。
10歳という節目を迎えて、きっと自分なりに大人に近づかなきゃ、という気持ちがあるのかもしれない。
そんな一生懸命な彼に、いつもグッとくるものがある。
こうやって子どもは成長して、親からも離れようとしていくのだろうか。
* * *
私はド田舎の出身だ。
汽車(北海道は電車ではなく、鉄道もディーゼル車。汽車と呼んでいた)だって、本数がすごく少ない。1本乗り遅れると2時間後、なんてこともざらにある。そこから一番近い高校に通うよりも、遠方の高校に下宿から通うことを選んだ私は、家を出たのが16になる年だった。なんだかよくわからないまま親元を離れ、部活に打ち込む日々だった。
両親も共働き、当時は酪農を営んでいたこともあって、中学校卒業まで家族でゆっくりしていた記憶がない。家族旅行も、泊まりがけで出かけたのは片手に収まる程度だ。
だから、一緒に過ごした記憶よりも、とにかく家の仕事を手伝うことに一生懸命だった。夕食の支度や後片づけ、お風呂掃除は毎日の日課だった。
そんな毎日だったこともあってか、母にハグしてもらった記憶もない。もしかしたら何度もあるのかもしれないが、記憶としては残っていない。
それが悪いとは思わないし、両親に愛されていないと思ったこともない。
* * *
10歳を迎えた息子にとって、母親に抱きしめてもらったという記憶は残ってくれるのかな。
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私はことあるごとに子どもたちを抱きしめてしまう。
息子からは拒否されることもあるけど。
おはようのハグ、大好きだと伝えながらのハグ、けんかの後の仲直りのハグ。
身体全部で「大事に思っているよ」「大好きだよ」が伝わる方法だと思う。
ハグしながらほっぺたをくっつけたり、鼻ををすりすりしたり、私には至福の時間。
息子だけではなく、きっといつか娘達も成長し、親離れするときがくるだろう。
寂しくなるかもしれないけれど、それまではいっぱいハグしなくちゃ。