私の体は私のもの – ドラマ『何曜日に生まれたの』を見て思ったこと
「私の体は私のもの」
あなたはこれを、当たり前のことだと思うだろうか。
このところ私は、野島伸司さんが脚本を手がけるオリジナルドラマ『何曜日に生まれたの』を見ている。大人の引きこもり、コロナ禍、LGBTQ、青春時代の過ちなど、さまざまなトピックが盛り込まれていて引き込まれる。ほっこりするようで、ときどき心がヒリヒリする。
今日はその中で、体について思ったことを書きたい。
「私は、触られるのが嫌い」
気になったのは登場人物の一人、橋爪リリ子。彼女は主人公・黒目すいの同級生で、高校時代のサッカー部のマネージャー仲間。入部前からサッカー部のエース・雨宮くんをいつも見ていて、部室での自己紹介で雨宮くんに「私はあなたの子どもが産みたい」という。
冷やかすチームメイトに煽られて雨宮くんがリリ子をハグすると、彼女は逃げてしまう。そして追いかけてきたすいにこう言うのだ。「私は、触られるのが嫌い」と。
「子どもが産みたい」とは露骨過ぎる表現で、交際してもいない人に(しかも大勢の前で)言うのは確かにびっくりしてしまう。でも、「触られるのが嫌い」という思いはちょっと分かる気がした。
セクハラは言語道断。潔癖症ではないのだが、私の場合、パートナーでも許可なく体に触れられるのは嫌いなのだ。
なぜ人の体に勝手に触ってはいけないのか
「自分の体は自分のもの、当たり前だよ」
そう思う人は、一度自分の胸に聞いてみてほしい。
家族やパートナーの同意を得ずにプライベートゾーンを触ったり、人には見せられないような写真を撮ったりしたことはないだろうか?または、嫌だけれど、受け入れてしまったことはないだろうか。
「愛情表現だから」
「(開き直って)減るものじゃないでしょう」
と、心当たりのある人は言うかもしれない。
でも、それって本当だろうか?
「赤ちゃんのお尻は触れるうちにたくさん触っておけ」騒動に思い出すこと
ここで一つ、例をあげたい。以前、X(Twitter)で赤ちゃんのお尻を触ることについての投稿が炎上していた。元のツイートは削除されているようなので、これについて言及していた記事から引用したい。
私には子どもがいないので、「子どものおしりを触りたい」と思ったことはない。かわいいと思う気持ちは、まぁ分からなくはない。でも、スマホがこれだけ普及した世の中になったとはいえ、自分の親が「かわいいから」という理由で自分のおしりを写真に撮ったり、触ったり、ツイートしたりしていたらかなり引くと思う。
これについて記事中で、性教育専門家の村瀬幸浩氏はこう言っている。
『好意を持ってくる相手には触らせないといけないんだ』
『自分が相手に好意を持っていれば触ってもいいんだ』と誤った認識を与えることにもつながりかねない。
この部分で腹落ちした。これ、赤ちゃんじゃなくて、パートナーでも同じことだ!と。
一般的にどうであれ、嫌なことを「嫌だ」と意思表示することはとても大事。その感覚は、人によって違うのだから。
「私の体は私のもの、当たり前だよ」
そう言ったあとに、あなたはパートナーや子どものことをまるで所有物のように扱ってはいないだろうか?
自分はOKだから相手もOK、は間違い
妊娠中の人のお腹を触る。
「俺の女」というような表現をする。
性交や避妊について、相手の意見を聞かない。
体を触ることに限らず、これらは「自分」と「他人」の境界線がバグっているか、所有物とはきちがえているかのどちらかから起こることだと思う。自分の体は、自分のもの。
「私は触られても大丈夫だから(あなたも大丈夫だよね)」「子どもだから、恋人だから、夫婦だからいいよね」というのは、理由にならない。
だからもし「パートナーに勝手に体を触られるのが嫌なんだよね」と友達が言ったとしても、「愛情表現なんだよ、受け入れてあげなよ」と笑って返さないでほしい。それは同意の上で行われるべきことだ。胸や尻は物理的に減らなくても、心はすり減っていく。
あなたの体はあなたのもの
私にもパートナーがいて、相手ありきのことだから、この文章を書くのはとても迷った。
でも「私の体は私のもの」
そして「あなたの体はあなたのもの」。
体の自己決定権、特に女性の権利や子どもの同意について考える、語られる機会も少しずつ増えてきていることにも期待したい。
この事実を飲み込んで黙って行為を受け入れてしまうことは、相手に所有物のように扱われることを加速する。だから、それがあたなにとって大切な人だったとしても、嫌なときは声をあげてほしい。
"My Body is My Own."
このことをずっと、忘れないでほしい。