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初めてのホームシック記念日

大学時代は留学に行かなければ卒業できない国際系の学部だった。大学生の半分は海外で過ごし、周りの友人もそんな感じで世界各地に留学していた。

ホームシックになりうる機会も、なっている人が近くにいる機会も身近だったと思う。それでも、人とのお別れが寂しかったり食べ物が恋しくなったりすることはあっても、“ホームシック”は一度も味わったことがなかった。本当に人と環境に恵まれていた。

中国とカナダの留学生活を凝縮した一枚(?)


今までどこに行ってもその地の生活に溶け込んでいたのだが、島に引っ越して約半月で初めてホームシックになった。

記念すべきその日は、友人に会うために県をまたいで引っ越す前に住んでいた町に出かけていた。

結婚をきっかけに2年間住んだ思い出がつまったO市。この上なく生活がしやすく、〇〇を買うならここ、〇〇をするならここ…と私なりの楽しみ方や生活のリズムもあって、とにかく大好きがたくさんある町だった。

帰りの船に遅れないよう友達とお別れし、その町で買い出しに行ったのが引き金だった。

ただ必要なものを買いに来ているだけなのに、「ここでカートを押しているのが日常だったのに、今はもう日常じゃない」という現実が迫ってきて、かつての日常がとてつもなく愛おしくなって胸がギュッとなった。

その日、友人と見たルピナス。霧がいいスパイスだった。

その夜、夫とその日あったことを話していた時のこと。楽しい思い出を共有しているはずなのに、楽しかったからこそ、もうそこにいないというギャップが際立って切なくなってしまう。「あの大好きな町にもう住むことはないんだね…」—。急に涙がポロポロと溢れてきた。

元いた家の前の大きな桜の木


想定外の涙に自分で「なんで〜」とツッコミながら、すぐに「これがみんなが言うホームシックか」と悟った。

「初めてホームシックになったよ〜」と泣き笑いする私に対して、夫は慰めるように「じゃあ将来は子どもの名前を『おむら〇ちゃん』(その町のマスコットキャラクターの名前)にしよう」と言い出したので、ますます可笑しくなってしまった。私も乗っかって「〇〇(好きな直売所の名前)もありじゃない?」「〇〇(その町の特産、名所)もいい」と、思いつく町の代表たちをとにかく挙げて、気持ちを昇華させた。

きっと、その町の出身者ですらここまでO市カラーと癖が強い名前を子どもに付けようとしたことはないだろう…。それぐらい(?)君は完全に私のホームだったよ、ありがとうO市love you。

追伸
私がホームシックになった話を電話でした時に「YUKAがホームシック?今まで無縁じゃない?」と言ってくれたベスティー、やっぱり流石だなと思った。love.

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