moumoonの健太郎
昨夜はわたしの両親と夕食へ。
ものすごく大好きなお店なので
待ち合わせまでずっとワクワクしっぱなし。
美味しいお鍋。
冷えた身体に染み込む。
具材から旨味が滲み出た濃厚スープ。
それはもう大事に、いただきました。
鍋って、煮込むほど美味しくなるから、
最後までちょっとずつしか食べない私。
だって一番美味しいのは鍋開始から
30分後くらいのスープに決まっておる。
ごはんの間、いろんな話をしましたが
なんだか昨日はすごく話が弾んで
父とは、量子力学の話をしていて
(宇宙の仕組みとか大好きな父)
なんだか盛り上がってしまいました。
(私は量子力学に興味はありますが詳しくはありまへん)
「人間には知覚できない、あらゆるものの影響を受けて万物は存在しているよね」「目に見えない、聞こえない、でも確かに感じ取っている何かは常にある」「しかし、知覚していないことは、存在しないことになる」「それならば、”ある”と”ない”だったら、常に”ある”を信じ、あらゆることが起こりうる、という可能性を信じて、生きていた方がいいし、実際そうだと思う」
というような、考え深いことを話してくれました。
可能性は常に開かれていると言うこと。
そういえば、
「宇宙の広がりについて思いを巡らせれば、
自分の悩み事などちっぽけだ」と、
宇宙の本を私にくれたのも
「自分の周囲にある3つの音の位置を把握しながら
一つずつそれに耳を傾けると、自然と内心、和らぐものがある」など
いろいろ私にとっての名言を残してきた父。
父は超絶理系の人なので
話す内容が難しすぎて、ついていくのに常に必死ではありますが、
なんとなーく、わかったような気になって、
「ほおお、」とか「へええ」と勉強になったのでした。
「。。。」
ふと横を見るとめちゃくちゃスーパー信じられないくらいつまらなそうに、
メニューを眺めている母がいて思わず二度見しました。
ちょっと不貞腐れている感じが、かわいい。
すぐさま父は「あっごめんねこう言う話はママつまんないよね、ははは」と
笑いました。母は、「私超現実主義だから。そう言う話わからない」
と瞬時に斬り捨てたのでした。笑
いいなー。すてきだなー。と、そういう二人だったよなぁ、と
なんか両親ががとっても愛おしく、かわいく感じたのでした。
それからも、
私が幼少期からチャーハンのエビだけを食べ続けた話、
デザートの抹茶アイスをドロドロに溶かしてから、
スプーンでその液体をちびちびと舐めながら
あっつい緑茶を飲んでいた変わり者だった話
若かった頃、父が忙しく出張に出る度に、
素敵なお土産を用意して戻ってきてくれた話など
その後もあっちこっちに話題が飛びます。
思い出話に花が咲いた。
まだまだ話し足りない私たちは
実家に戻って再びティータイム。
リプトンのおまけ、
なまけものの、のらり&くらりにキュン。
そして母は私が生まれた日のことを
じっくりと思い出しながら話してくれました。
逆子だった私は、帝王切開で生まれました。
当時帝王切開の手術はものすごく大変で、
母の身体の回復にはすごく時間がかかり、
歩けるようになるまで
とにかくものすごく痛かったとのこと。
でも、私が生まれた時のことをはっきりと覚えていて
出てきた瞬間「スポン」と音がしたそうです。
そして、私を抱っこさせてもらえたとき
私の顔は真っ赤なお猿さんのように
きゅうう、と力んで頑張った後の赤ちゃんの顔ではなく
どこかの公園でちょっと遊んできたみたいな
清々しい顔をしてたとのこと。
清々しい赤ん坊とは。
体重3050g、当時は生まれるまで
赤ちゃんの性別を知る方法がなかったらしく、
「男の子なのではないか」となんとなく思っていた両親は
私に「健太郎」という名前を用意していたのでした。
で、女の子だったので最終的に「ゆか」になったそうです。
このことから、デビューした日、みなさんに向かって
「moumoonのKENTAROです」と名乗っていた可能性があったと考えると
すごい可笑しいなと。笑
これからも、MASAKI & KENTAROの音楽を
楽しくお届けできたらと思います。笑
両親が二人とも福岡で生まれ
二人とも幼少期東京に引っ越して
別々に育ち、そして東京で出会って
私という存在を生み出してくれたことに
心から感謝して。
自分は愛されない存在なのではないかとか
私にはそもそも愛がない人間で
誰も愛することができず
ここに居てはいけないのではないかとか
いろんなことを考えた時期もありましたが
こんなふうに愛を感じられるようになって
すごく嬉しかった
目に見えていないものは、存在しないことになってしまうのなら
私はあらゆる場所に愛が存在しているという可能性の方を信じて
生きていくのがいいやと思った夜でした。
今日も素晴らしい1日になりますように!