花も買えない生活なんて
10月に入ってから、初めてお花屋さんに行った。うすピンクのガーベラが並ぶ中に、ひとつだけ鮮やかな色が混じっていて、私はなぜかその花に強烈に惹かれたので、手に取って、レジへと向かった。お会計をしながら思った。
切り花一本でさえ、もはや贅沢品なのだ。
家に帰って、水を流しながら茎を切っていく。ぱちん、ぱちん。一輪挿しにちょうど良い長さまで切る。切りながら、少しかなしい。
ああ、花も買えない生活なんて。
貧しいなあ、と、思う。心が、貧しいなあ。
わたしたちは、これから、もっとたくさんのことを制限されて、きっと、色んな……色んな贅沢ができなくなって、さて、贅沢とは何だったのか?って。貧しさを貧しさと感じられないように、少しずつ首を絞められていくのだなあ。
風で揺れるカーテンを通り抜けて、涼やかな空気が流れ込んでくる。秋の風は好きだ。匂いも、すん、とした冷たさも、寂しさを感じさせるなめらかさも。
この一ヶ月、仕事をしている時以外は、じっと天井を見ていた。ただ、見ていた。
ベッドは柔らかく、快適で、わたしをあたたかく包み込んでくれるけれど、だからって寂しくないわけじゃない。
夜になると、蛍光灯にはお魚が泳ぐ。蓄光の仕組みを知らなかった頃は、毎日夜が楽しみで仕方なかった。住む部屋が変わっても、このカバーだけは持っていく。眠る時には、私の目の前はいつも海が広がっている。
眠れなくても、かなしくても、常に同じ海が広がっていることは、救いだ。
死んでしまった人間のことも、もうどうしようもなくなってしまった自分の人生のことも、身が千切れる程の寂しさも、目を閉じて、息を吸って、もう一度、目を開けて。
じっと、天井を見る。
何もなかったことになんてならなくて、わたしにできることなんて何もなくて、だから、虚しい。
生きているってたのしいですか?
呟いてみて、両の手と手を握り合う。
これは祈りだ。どの神に対してでもなく、ただ、わたしのためだけの祈りだ。
どこへいくあてもない、ただの、祈りだ。
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