夜、電灯は虹色に輝く
眼鏡を新調した。
元々、あまり眼鏡の似合う顔ではないので、よい形や大きさのものに出会えるのは稀である。
流行りの丸眼鏡風で、べっ甲フレームに、金のテンプル(つる)というのが気に入った。似合わないわけでもない、と、思う。おそらくは。
外出時はコンタクトをするので、今は家でしか使っていない眼鏡も、もう3年くらい経って、鼻当ての部分にヒビが入ってきていて、いつ壊れるかわからないから、と言い訳しながら、お財布の紐を少し緩める。
わたしは視力がとても悪く、度数も出にくいタイプなので、眼鏡を買うには、レンズを薄くしたり・歪みを矯正する為の追加料金が不可欠である。
店員さんと話し合って、ギリギリ妥協点の一番安い補正で済ませた。
新しい眼鏡を買って、そこに本体よりオプションを付けられるほど、裕福ではない。
「多少の歪みは出ちゃうかもしれません」
と言われて、持って帰った。
細いテンプルが折れてしまいそうで怖くて、次に出かけるときにかけていくことにしよう、と、思った。
髪を結って、軽くお化粧をして、インフルエンザ予防と防寒を兼ねたマスクをして、金色の棒をそっと耳にかける。耳の後ろがひんやりとする。
普段かけている大きめフレームの眼鏡よりレンズの幅が狭いせいで、少しクラクラした。
夜、駅前まで買い物に行くのに、ほんのちょっぴりの雨が降っていた。ぱら、と降っては、止む、の繰り返し。随分長い距離を自転車で走った。指先が悴んで、うまく動かせないくらい寒い日だった。
真っ暗な中でわたしを支配する視界は、雨粒に濡れるたびにぼやけ、吐く息がマスクを伝ってレンズを曇らせた。
肺の奥まで息を吸う、冷たい、冬の空気で満ちていく。身体の中から凍ってしまうのではないかと思う。
底の厚いブーツでは自転車のペダルはうまく感じ取れないが、ヒールの部分に引っ掛けて、強く、強く、漕ぐ。
大通りに出ると、視界一面に、光の束が広がっている。
街灯、車のライト、向かいから走ってくる自転車の光、煌々と輝くコンビニエンスストア。
視界はやっぱり歪んでいる。乗り物のライトは攻撃的に強く光るし、お店の電気も真っ白く殺人的だ。その世界の中で、街灯だけが虹色にぼうっと輝いていて、まあるく、優しい感じがした。
私の生きている世界は、だいたいが、そんな感じだ。
まあるく、優しいのに、触れることなく消えていったひとのこと。
ふと、亡くなった祖母のことを思い出す。
父方の祖母はわたしとよく似ていた。
正確に言えば、わたしが祖母によく似ていたのだけれど。
わたしには妹がいて、幼い彼女には親が必要で。どうしようもない時、わたしは父方の祖父母の家に預けられていた。
読書と編み物を趣味とするわたしと祖母は、たぶんとても気が合った。
たぶん、なのは、ほとんど会話したことがないからだ。狭く窮屈な台所から出てくる、家庭的であたたかい食事、小さな炬燵で祖父母と鍋を囲んだこと。祖父は気まぐれで勝負事が好きで、オセロや囲碁などを好む妹といつも一緒に遊んでいた。三人でいる時、わたしとは、ほとんど喋らなかった。
祖母も口数は少なかったが、少なくとも、わたしを愛してくれていたのだと思う。
独りで、働きながら、趣味として培ってきた高い技術で、わたしだけにキティちゃんのぬいぐるみを編んでくれた。わたしだけに、セーターも、ポシェットも、身の回りの毛糸のものは全て。
わたしは長い間、揺れていた。妹と、祖母の間で。そして妹を守ることを選んだ。だから祖母とは、会話しなかった。
妹が成長すると、家族で帰省するばかりになった。二人姉妹なのに、祖母はわたしのことばかり褒めた。綺麗な黒髪だからきっといいところにお嫁に行けると思うんよ、その素敵なワンピースを着ているとええとこのお嬢様みたいやねえ。
わたしは、妹の姉ではなく、母だったから。
わたしが彼女の母親がわりにならなければ、彼女はわたしと全く同じ苦しみを得ることになるのだとわかっていたから。(本当は、そんなことなかったのに。)母のせいで流血している妹にこっそり消毒液を渡して、寒空のなか外に出されていれば毛布と食べ物を。
彼女の意見の、承認も肯定も、わたしがする。
理不尽な両親への愚痴は、わたしが全部受け止める。
だからわたしより健全に生きて欲しかった。
愛していると同時に、どうしようもなく憎んでもいたけれど。
そんなこといくらしたって、わたしがどうしようもなく、両親の望むように生きようとしたから、
彼女はどうしようもなく、自己否定をせざるを得なかった。
だから。
妹を守るためには、わたしを褒める祖母とは距離を置かねばならなかった。
祖母に手紙を送ると、時々返事が返ってきた。
それだけが、我々の小さな交流だった。
祖母は死んだ。あっけなく。すい臓がんだった。発見された時にはすでに末期で、最期は遺族の意向でなかなかモルヒネを打ってもらえずに、それでも一応、あっけなく、亡くなった。
お葬式のことは覚えていない。
祖父の葬式はあんなに鮮明に覚えているのに、何故だろう。
横たわる祖父の遺体に向ける祖母の眼を、一生忘れないと思うほどに、鮮明に覚えているのに、なぜだろう。
わたしは、そのころ大学生で、人間関係で気が狂いそうになっていて、気が狂うくらい働いて、だから、あまり記憶らしい記憶がない。
それはもう、わたしにはわからないことだ。
ぼんやりとした視界で。
いくら目を凝らしてみても、わたしが祖母の姿を、肉眼で捉えることは決してないのだ。
当たり前のことすぎて、涙も出ない。
2019.12.15
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