喧嘩上等、上等な人生
上等な人生ってなんだろう、と思いながら、わたしはこのトンネルをくぐった。くぐった先には謎の公園みたいなスペースがあって、子供が二人、キャッキャとはしゃいでいた。わたしの横を、某塾のリュックをしょった少年が自転車で通り抜けてゆく。
そこにあるのは、わたしにはもう届かない、まぶしい、彼らの人生だった。
わたしは、最近とても疲れていて、今日も朝からぐるぐるとずっと同じことを考えていた。
僕には資産がある。君は家事をしなくていいし、仕事もしなくていいし、生活費の心配もしなくていいし、遺産はすべて君にあげる。だから僕と結婚しないか。
と、六十も過ぎたおじさんに、以前言われたことだ。
彼とはビジネス上の関係であるので、わたしは明確にノーと言ったし、向こうもそれで納得したようだった。
でも。
君の幸せを願っている、と何度も繰り返しながら、まだ二十半ばのわたしに、結婚しないか、と持ち掛けるのは、矛盾しているのではないだろうか。
もし彼と結婚したとして、それで、わたしに幸せな日々が訪れるのだろうか。
その答えは、おそらくノーだと思う。
同年代は結婚ラッシュだ。婚約、結婚、また結婚、飛んでいくご祝儀、ぽんぽんと生まれていく赤ん坊たち、わたしはそれを、ただ眺めていることしか出来ない。白以外のドレスを身に纏って、おめでとうと祝福して、ホームパーティーに招かれて、赤ん坊を抱かされて。
無垢で無知な彼・彼女らは、わたしを見ても笑うのだ。ふにゃふにゃとした柔らかな肉体を私にすべて預けて、それはもう、無邪気に。
わたしは逆に萎縮してしまって、生まれたての、人生において後輩であるはずの彼らに、すみません、みたいな気持ちで、そっと会釈をする。
ちょっと笑ったら、笑い返してくれるのは、地味に、嬉しかったりも、する。
赤ん坊の魔力というのは、こういうことを言うのだな、と、噛みしめている。
生まれたての。無知で無垢な、赤ん坊に。
救われたくなどないのに、救われてしまう、悔しさ。
彼らの、罪の無さの前で、わたしは無力に屈服するしかないのだ。
生きてきただけ、わたしは、おそらく、罪を重ねてきたのだから。時に、法は法であって、生きるということと関係のないことがある。ので。
疲れていても疲れていると言っていいなんて、誰も教えてくれなかった、と思いながら、ギリギリの時間に出勤カードを通し、理念を暗唱していた日々。
他人に良くすることが善だと思い込んで自分をすり減らした日々。
偽善も、罵倒も、真っ黒いことは、だいたい、大学生で慣れたものだった。
色んなことを考えながら、今日もわたしは歩く。
コツコツと、ヒールを響かせながら、ろくでもない格好でも、それでも、外を歩くのだ。少し高くなった背で、見えるものを、必死に見ようとしながら。
見えるものに、蓋をしてしまわないように。
見えないものを、見なかったふりなどしないように。
わたしの歩くコツコツという音だけが、治安の悪い長いトンネルの中で、ただ、響き渡る。
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