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父を早くに亡くして、今思う事。
昨日の晩、命のテレフォンネットワーク、みたいなところに電話をかけました。深夜1時のこと。理由はいくつかあったけれど、ひとつは「誰もわたしの話を聞いてくれない」「コロナで会話に飢えている」ということでした。結局テレフォンネットワークは混んでいて繋がらず、話を聞いてくれたのはSNSで知り合った年上の女性。他愛もないメールのラリーがⅠ時間以上続いて、たくさんたくさん聞いていただきました。わたしの気はすっかり晴れました。ほんとうに感謝しています。ありがとうございます。その方がいなかったら呼吸できずに熱中症になっていたかもしれないです。
父親はわたしが25歳のときに亡くなった
父との思いではたくさんあるけれど、一番記憶にあるのは「たくさん話したこと」です。父とはとにかく話しました。お互いが、恰好の話し相手でした。映画が好きなのも、政治の話をするのも、大きな夢を語るのも、父とわたしは自分の話しかしないのに盛り上がっていつまでも話していました。
もちろん喧嘩もたくさんしましたが・・・。
そして、ある部分では嫌悪し、ある部分では尊敬していました。
偉大、とはいかない、小心者でケチで、でも頭はよくて、物事の本質を見抜く人だった父。家族と地元のために商売をして、ゴルフや旅行を楽しんでいい人生だったはずです。
享年56歳、突然死した父は、いなくなってみると・・・、そしてコロナで母しか話し相手のいない今の自分からすると・・・、いい話し相手を亡くしてしまったなぁということを思います。
令和まで生きていてくれたら、元気になった自分を見てもらえたかしら、と思うときも多々あります。きっと天国で見ていてくれますよね。
一方的に話すだけの人は友だちなのか
直接会って話すことは少ないので、最近はもっぱらメールやLINEでやりとりするわけですが。
昨日のわたしは、テニスの壁打ちの(壁)になり果てた気分でした。
一方的に自分の用件だけ話す人。
自分の気持ちをわーっと話して、わたしには興味すらない人。
愚痴を並べて、へいきな人。
そんな友だちの態度に、心底いやになっていました。もはや友だちなのかしら?とすら思ったりします。もうボランティアで話を受け止めている気分。
セラピストを目指しているというのに、そんなことで耐えられるの??と思ったりしました。けれどね、彼女らは、無限にわたしの時間を奪っていくわけです。相槌を打って、そうだね、そうだねと聞いて。お金を払ってもらえたらいいとか。そういう問題ではないんです。
今日の午後・・・、大学時代の友人からメッセージが来ました。
やはり彼女も周りの人のことで悩んでいました。今自分の周りにいる人たちが、むかしの仲間とは違う、みんなでまた集まりたい・・・。そんな話をメッセージで送り合いました。
彼女は言ってくれました。
「yukakoちゃんの悩みはわたしが聞くからね!(略)」
そんなわけで今夜、晴れて、彼女と電話でお話します。とても楽しみです。わたしは、泣くかと思いました。悩みを聞くからね・・・。無条件に、なんの得もないのに、わたしの悩みを聞いてくれる人がいるのですから・・・。
コロナ禍で気づいた、自分には会話がとても大切だということ。
会話って、わたしにとっては癒しなのだと思いました。そして最高のエンタメです。テレビを観るより、音楽を聴くより、できれば誰かと楽しく話していたいです。
価値観を交換したり、癒し合ったり。そういうことに飢えきっていることに気づきました。
人それぞれ、会話が好きじゃない人もおられると思います。
ただわたしには必要というだけで・・・。
そこに思い遣りさえあれば、
たのしく会話ができると思うのです。
なぜそんなに会話したいのだろう?
さみしいからでしょうか?
無口な方もいらっしゃるなかで。
なぜ、わたしは会話したいのだろう?
ただおしゃべりな人間なんだろうか?
友人の愚痴を聞くのにさえ、堪えられない自分に凹んだ昨夜でしたが。
父が生きていたら・・・?
「おい、難しいこと、考えんなよ」
って言ったと思います。(笑)
「単純な映画でも観て寝ろよ」
って言ったと思います。(笑)
今、この時代ほど、父に生きていてほしかったと思ったことはないです。
お父さん。
もっともっと、話したかったね。