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アイヌ刺繍

昨日は昨年から始めたアイヌ刺繍のお稽古の日でした。

手芸全般好きなので、家でYouTubeや本を見ながら簡単な編み物や縫い物は楽しめる時代です。
月に一度、同じものが好きな仲間と手しごとを一緒に出来るお稽古事が見つかって、とても幸せだなと感じています。

昨日は9月も終わりだというのに、まだまだ暑い日で、古民家の地下(半地下?)でのお稽古。
古民家少し暗いので、みんな自然と明るい方を向いてチクチク。
昨日は何度もしーんと音のない時間がありました。
こういうのを天使が通ったとかいうのでしょうか?
アイヌ刺繍の集まりだから、カムイ(神?)が通ったというのでしょうか。

道具もね、休みたい時はあるから、糸が絡むとか上手くいかない時は、そういう時期なんだと思って休むのも大事よ。(先生談)

先生が他の方に話す、そんなことこんなことがひとつひとつ沁みて、心に書き留めながら針を運ぶ時間です。

元々はご存知の方もいらっしゃると思いますが、私はパッチワークキルトを長く習っていて、その時も先生や仲間にはとても恵まれました。
20年ほど経った時、もうどうしても毎月習いに行く情熱が底をついたことを認めざるを得なくなって、お稽古はやめました。

アイヌ刺繍を習っていると、パッチワークキルトは(私がですが)「早く」「美しく」に偏っていたなと感じています。
物事は比べないでと言いますが、比較することで見えてくるものがあることも事実です。
毎月習う新しい課題と、2年に1度の作品展のベッドカバーサイズのキルト作り。それを楽しめていた頃はもうパート、子育て、パッチワークとフル回転でした。それ故にパッチワークは、どう効率よくカット出来るか縫えるかになり、新しい道具が出るや飛びついていたものでした。
お道具大好きですしね。

アイヌ刺繍は、道具も最低限で。
うちのお教室では、アイヌの着物を縫う時は自分の指を広げて測り、爪で印をつけるとか…(まだ着物には手をつけてないので、先輩方からのお話です)

出来ないことより、焦って縫う方がいけないようです。
年に一度の作品展も、出来てなくてもいいからみんな出して。縫いかけでもいいのよ…と言われます。

先生は私よりお若いし、これはずっと続けられる楽しみを見つけられたと思っています。

下は、今年作ったマタンプシ(鉢巻)とレクトゥンペ(チョーカー風首飾り)

着物は、家にあるものが使えるか見てもらえるそうなので、亡くなった父の着物いいんじゃないかと思っています。
3階の片付けなきゃと思って放置していた形見の着物の片付けがてら物色しましょう。
これもカムイの計らいでしょうか。

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