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結縁灌頂(けちえんかんじょう)

どこへ行った、ここへ行った…というブログにするつもりはないのですが、今日のことは書いておきたい。

父方の従姉妹二人に誘ってもらって、尼崎の月峯山大覚寺に参りました。
生きている間は多分最後と思われる御本尊の十一面千手観音菩薩様の御開帳と、仏様とご縁を結んで頂ける真言密教の尊い法義により、印とご真言を授けて頂けるとのこと。

実は御開帳…としかわかってなくて参列し、え?こんな凄いことを??
ってなっていました。
法義の内容は、真言密教ゆえ他言無用の決まりとなっていますので、家族といえどもこの法義を受けていない人とは話せないことになっています。

いわゆるスピリチュアル大好きだった頃受けた、アチューンメントだとかヒーリングなどは吹っ飛ぶ有り難さ(個人の感想です)。
仏様と結縁して頂いた以上、更に日々反省し向上していきたいと思いました(小学生の感想文並の言葉しか出てこない汗)

法義の内容は書けませんが、始まる前の法話をシェアします。

般若心経を唱えたことがある方も多いかと思いますが、まず「観自在」から始まります。

色々なものを観察することが自在だよ、ということ。

まずは色んなものをじっくり観察することが大切です。自在とは何ものにも邪魔されないということ。
邪魔するのは外部からというよりは、己の欲や思い込みのこと。
あの人はこんな人だから!とか、こうに違いない!というものの見方ではなく、フラットに対象を観察する。
観察するということは、五感をフルに使って見るということ。

お食事が提供されます。
美味しそうだな、頂きます!
………
普通はそうなんですが!
その前に
その食事が自分の前に供されるまでに、料理され盛り付けられ材料を集め野菜が運ばれ作られ肉や魚の命を頂く。
気が遠くなるような時間と労力と命をもって、今自分の目の前に供されているのだ…という所まで観察するということ。

少し前に、やはり同じことを言われました。
五感を使いなさいよと。

うっかり自分が感じることに無頓着になりがちです。

私はもうこれで完璧!と思ったら成長はそこまで。

悪い意味ではなく、反省し自分の中の仏様を信じ、日々五感を澄ませて丁寧に生きていくこと。

これは結縁灌頂を受けた受けない関係なく大切なことですね。

姉妹のいない私(弟がいます)を、こうして誘って姉妹の中に寄せてもらえて、末の妹気分にさせてもらえたのも嬉しい一日でした。

仕事の関係で、私が三つまで尼崎(出屋敷)で父の兄一家と敷地内同居?していた我が家。
三つまではこの姉妹と、多分私も姉妹の様に育ったはずです。

姉が私が産まれる前に亡くなっているので、戸籍は次女。
三つまでは末っ子。
それ以降は弟が生まれて立ち位置長女。
書いて見ると今生で色々体験出来てお得ではないですか笑

仲の良い従姉妹を純粋に羨ましいな良いなと思いながら、その後ランチやお茶をしてよく喋って別れました。

このタイミングで十一面千手観音菩薩様と結縁灌頂を授かったことは本当に有り難く、また「有り難かった」で済ませてはいけないなと思いました。
この年齢になって、どうしていくか?ではなくて「どう在るか」が大切なのであって、在り方を整えていけばどうしていくかも見えてくるのではないでしょうか。

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