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Patient Handsインタビュー(アンビエントミュージシャン)

 アンビエントミュージシャンPatient Hands(ペイシエント・ハンズ)は、カナダ西部に広がる大平原カナディアン・プレイリーズ域、サスカチュワン州サスカチューンで生まれ育った。
 彼の音楽の特徴として、ひとつひとつの音がもつ、その深みが挙げられるだろう。一滴の柔らかな水が水面に落ち、その波紋がどこまでも果てしなく広がり続けていくような、また、乾いた地に落ちたその滴が、その地の深く深く、底の方までじんわりと滲み潤していくような。そんな感覚が耳を通じて身体中に広がっていく。ピアノ、ギター、そしてシンセサイザーを用い、まるで遠い過去の記憶を訪ねているような、そんな不思議な世界観を音楽でつくり上げている。
 何もない広い大地の真ん中にひとり立ち、自然のなすがままをこの身で全て受け止めているような、孤独で、しかし強く、柔らかく穏やかで、優しい気持ちにさせてくれる。

 2019年、最新アルバム『Stoic (Japanese Special Edition)』が、of Montrealなども所属する日本のレーベルMoorworksから発表され、同年2月には初の日本ツアーも行った。新鋭アンビエントミュージシャンPatient Handsは、今注目アーティストの一人だ。

 ツアーを終えたばかりの彼とコンタクトをとり、帰国する2日前にインタビューを行うことができた(2020/02/23)。彼の音楽から受ける「ストイック」な印象とは裏腹に、よく話しよく笑う、気さくな印象が強かった。
 現在25歳、Patient Handsの幼少期時代からミュージシャンとしてキャリアを持つ現在に至るまでの、その軌跡をPursuit(追跡)していく。

家族からの影響

 大平原のそばで育った幼少時代の過ごし方について尋ねると、自然と戯れていたのだろうという私の予想に反して「基本的にはずっとゲームばかりやっていた」という彼。そのギークさは、後に大学でエレクトロニック・アコースティックス(電気音響学)を専攻していたことにも通ずる部分がある。

 ハーフ・ロシア人という彼は、ドゥホボール派(ロシア・ウクライナに起源を持つキリスト教の教派)だったロシア移民の血族で、4人家族の末っ子として育った。
兄はピアノを習ってたんだけど、レッスンが好きじゃなくて途中でやめちゃって、そのせいで両親は、僕にはそもそもレッスンを受けさせなかったんだ。家族から音楽を学んだことはなかった。
 音楽的には家族から影響を受けたわけではなかったが、ファーストアルバム『Stasis』では、家族との会話や家の中で発生する音を録音した音源を多く使っている。
 「家族は僕にとってすごく大きな存在。母は2017年に亡くなってしまって、それは現在の僕の制作に大きく影響している。彼女はミュージシャンになりたい僕を、ものすごく応援してくれていたからね。父との間には、実はちょっとした問題がある。彼も少しずつ、僕のやりたいことを理解してくれ始めているけど、最初は猛反対だったからね。兄に関しては、新しいアルバムを出すにあたって応援してくれて、彼が背中を押してくれなかったら、きっとリリースできなかったと思う。いろんな形のインスピレーションという意味で、家族からの影響は大きいと思うよ。

 小学生の頃に学校のブラスバンドでサックスを吹いていたこともあるが、指導していた教師と折りが合わずやめてしまった。
何をするにも選択肢がなかったんだ。僕は縛られるのが好きじゃなくて、ルールが嫌いなんだ。日本じゃそれはダメだよね(笑)

 彼が本格的に音楽に興味を持ったのは、15歳の時だった。
友達からシーガル・ギターを借りて、そこからベーシックコードを自分で勉強し始めたんだ。ベーシックコードにはすぐに飽きちゃったけどね。僕はいまだにCは使わないし。そういうコードだと、オーセンティックな表現はできないと思ってるんだ。好きなコードは、例えばC#maj7とかかな。」 
 メランコリックな彼の音楽を聴けば、納得のいく答えだ。自分でギターの練習をしているうちに、自然と曲を書くようになっていった。練習を始めて、まだ間もない頃だったという。
もちろん全部デキの悪いものばかりだったけどね(笑)だんだんギアにも興味を持ち始めて、録音を始めてみたらそれがすごく面白かった。高校ではインディージャズの、スリーピースバンドも組んでた。オリジナル曲をつくって、みんなで宅録も行った」。
 高校卒業を機にバンドは解散。そして彼は、ソロとして活動を始めていくこととなる。その頃に作ったのが最初のEPである『Stasis』だった。2014年のことである。

影響を受けたミュージシャン/創作活動の始まり

 そんな彼は、インディーズのWhy?、Fleet Foxes、Grouper、Paper Beat Scissorsなどを、影響を受けたミュージシャンとして挙げている。

Why?のボーカルYoni Wolfは、いつも正直に自分の中にある闇や暗い秘密を、リリックの中で包み隠さずに書いている。その姿勢にものすごく影響を受けたよ」。
 確かに、彼のリリックは全体を通して、とてもシンプルな言葉で、しかし大胆に、全てが包み隠さず率直に書かれている。しかし同時に、ミステリアスでポエティックな印象も強い。そのバランスも、リスナーが惹かれる理由の一つだろう。

 YouTubeでカバーもしているGrouperの『Living Room』。実は彼は元々Living Roomという名前で活動をしており、その後一時期、自分の本名で活動していた時期もあったが、2019年より現在のPatient Handsというアーティスト名に改名している。
 最新アルバムに収録されている『I Shaved My Father's Face』にも、こんな歌詞が登場している。

Masturbating in a bar bathroom. Why did I call myself "Living Room"?
(俺はバーのトイレでマスタベーションしている。なんでLiving Roomなんて名前付けちゃったんだろう?)

最初はドメスティックな感じがする名前だと思って気に入ってたんだけど、そのうちなんとなくつまらないなって感じ始めて、それで一旦自分の名前に戻したんだ。でも活動する中で、それだとプライベートとあまりに密接し過ぎている感じがしたんだ。基本的に僕はすごく懐疑心が強いタイプの人間だから、SNSなどのソーシャルメディアで、自分のアーティストとしての部分とプライベートな部分とを分けるのも難しくなっちゃって、本名を使うことにかなり居心地が悪くなったんだ。2016年くらいだったと思う。
 Patient Handsって名前は、2015年にリリースしたアルバムの名前だったんだけど、それは自分にとって音楽制作がどういうものなのかっていうのを表した名前だった。全ての音が全て繊細な過程を通してつくられていく。それでピッタリだと思ったんだ。他にも候補はあったんだけど、すでに他の人にとられてる名前も多くて、それで最終的に残ったのがPatient Handsだったんだ。

 僕の作る音楽はやっぱりどれも繊細なものばかりだし、その点でも、すごく合っていると思う。自分でも気に入っているよ。

大学時代−哲学とエレクトロニック・アコースティックス(電気音響学)

 高校を卒業した若干18歳の彼は、すぐには大学へ進む道を選ばず、思いつきで、最小限だけの荷物を持って南米へ旅に出ることにした。
 が、このことについてはまた後ほど話をすることとしよう。

 南米の旅から帰国した2015年、まずはサスカチュワン大学にて哲学を学び始めた。しかしまだはっきりと学びたい分野が見えていなかった彼は、同年、拠点地をモントリオールへ移し、大学で全く異なる学問である、エレクトロニック・アコースティックス(電気音響学)を学び始める。
電子音響学はドイツやフランスで生まれた学問分野で、シュトックハウゼンやピエール・シェフェールなどの現代音楽、つまりミュジック・コンクレートについて学ぶ専攻のこと。わかりやすく説明すると、あらゆる概念から解放された純粋な「音」の包括的研究学問、ってことになるのかな。その専攻プログラムの最終目標は、音楽的に「聴く」能力を改善すること。
 例えば、教授がノイズを流して「これはどんなノイズだ?ピンク色?青?茶色?」っていう質問をしてきて、生徒はそれについて考えて答えるとか。あとは、EQをどんどんあげていって、その周波数を答えなきゃいけない、とかね。

 そこで学んだことが実際の制作活動に役に立ったかと訊くと、「逆だよ。そのプログラムのせいで、制作意欲はガタ落ちだった(笑)」と答えた。そのせいもあり、彼は途中で電気音響学の専攻は辞退。
 
 その反面、哲学への興味がどんどん大きくなっていった。
僕が学んでいたのは、哲学の歴史についてなんだけど、哲学のことに関してなら何でも興奮しちゃうんだ。哲学がとにかく大好き。博士号をとるのは僕の夢のひとつで、いつかアメリカの大学に行って取得したいと思ってるんだ。
 好きな哲学者は、プロティノスと答え、彼の「一者」論に特に関心を寄せているらしい。

ペルーでのアヤワスカ体験、制作への影響

 さて、話を大学より少し前に戻すことにしよう。2014年に高校を卒業した彼は、いきなり思いつきだけで、南米へと4ヶ月の旅に出た。その旅の途中で立ち寄ったペルーで、計画外に体験したのは、アマゾンに住むシャーマンが行う、アヤワスカセレモニーだった。

南米を旅している中でペルーに立ち寄った時、ボートのシェアタクシーで、一人のデンマーク人男性に出会った。話を聞いてみると、これからアヤワスカセレモニーに行くっていうんだ。アヤワスカについては聞いたことはあったよ。でも彼の話を聞いている時には、まさか自分が体験するとは思っていなかった。でも、何となく「僕も連れて行ってくれる?」って訊いたら、その場で彼がシャーマンと連絡をとってくれて、それで同行することになったんだ。

 アヤワスカについてご存知だろうか。アヤワスカとは、一般的に地上最強の幻覚剤と呼ばれ、主に南米アマゾン川流域で暮らすシャーマンの儀式で用いられるものだ。そこで育つカーピと呼ばれるつる科の植物と、成分にジメチルトリプタミン(DTM)を含む植物とを配合させてつくられる。服用すると嘔吐を伴う強力な幻覚作用をもたらすといわれており、その効果を利用してシャーマンは患者を治療するという。昨今では、鬱病などの精神病に効果が高いとされ、世界各国からシャーマンの儀式に参加するために人々が集まっている。(私も数年前から興味を持っている事のひとつである)

長い時間をかけて現地に到着して、早速彼のシャーマンに会ったんだ。すると、面白い事実が判明した。そのシャーマンはなんと、僕が16歳くらいの時に聴いたポッドキャストで紹介されていた人だったんだよ!もうこれは何かの思し召しだなと思って、それで急遽、僕もセレモニーに参加することになったんだ。
 30分ほどシャーマンがイカロスを歌っていて、それを聴きながら目の前にたくさんの色が見え始めた。自分の中で、パニックの波が、押し寄せては引くの繰り返しだった。
 しばらくして、そうだ体を横たえて楽になろうと思って、そのまま寝転んだんだ。まさにその瞬間、アヤワスカの効果がはっきりと出始めた。夢をみているみたいなんだけど、でも映画を観ているようでもあるというか。面白かったのは、それでもちゃんと目を開けて現実を見られるという、そういう安心感もあったこと。見るもの全てがゆっくり流れていて、聞こえてくる音は全てディレイがかかっていた。怖かったけど、同時に、最高に居心地がいいんだ。
 見えたビジョンのほとんどは、僕の家族やその歴史に関するビジョンだった。例えば母方の家族やその祖先の姿。僕は一度も会ったことない人たちなのに、次々と目の前に現れてくるんだ。でも彼らは確かに、母方の祖先たちなんだってわかるんだ。

 全部で3回のセレモニーに参加した彼に、その体験を通して何が一番の変化だったのかと尋ねると、「エンパシーを強く感じるようになったこと」と答えた。
あそこで体験した気持ちは、とにかく比にならないくらい素晴らしいもので、今でもずっとあの気持ちをまた体感したいと思い続けてる。だってこれまでの人生の中で最高のものだったから。

 しかしあまりにも強烈だった経験は、帰国してから約8ヶ月間、逆に彼を苦しめる原因となってしまう。
とにかく全てのことが重くて激しいんだ。特に子供が僕に何か話しかけてくる時にはキツかったよ。いつもその後、嘔吐してしまっていた。毎日サンセットの時間になると、パニック発作が出たり。身体的にも異常が出てきていて、検査入院もした。癌の疑いがあると言われてね。実際は違ったんだけどね。今でもあれが何だったのかは、はっきりとしていない。でも癌じゃないってわかってから、少しずつ状況はよくなり始めた。

 回復に伴い、彼は再び曲を書き始めた。そこで体験した思いや考えを、作品にしようと思ったのだ。
最初に書いたのは『Anaesthetic』だった。検査のために何度か手術しなくちゃならなくて、毎回恐怖を感じてたんだ。もう、アヤワスカ含め、いかなるドラッグもやりたくなかった。そういう気持ちから生まれた曲だった。アヤワスカセレモニーでの体験も、『I Shaved My Father's Face』に書いたよ。

"Shaman's cataract eyes (シャーマンの白内障の目)
Didn't grandfather die?(あれ、お爺ちゃんは)
Didn’t grandfather die...?"(死んだんじゃなかったっけ?)
※セレモニー中に目の前のシャーマンと深い繋がりを感じた彼は、まるで自分の祖父のような気がしたという。

 リリックは全て、自分の体験に基づいた事実なのかと尋ねると、
想像でつくったストーリーを書くことはないな。どこかの部分で、必ず自分にとっての真実を書いている。その理由はさっきも言った、Why?のYoni Wolfの話に戻るんだけど。バイオグラフィー的なものになって欲しいと思って、いつもリリックを書いているよ。

制作過程/日本レーベルとの契約

僕は、リリックと曲は全く別物としてつくっていくんだ。それを最終的につなげていく感じ。こういうアイデアがあるからそれに向けてつくっていこう、っていうような作り方はしない。いつでもオーガニックにつくっていく。前にノートとか携帯のメモに残していたアイデアを引っ張り出してきて、それに対して音をつけていくとか、そういう作業の時もあるね。一曲に対して一日ですぐにできちゃう時もあれば、何年かかかることもある。
 主に制作をするのは夜だという。
夜の方が、自分の奥深い部分と繋がれる気がするからね。

 話を聞きながら、ふと彼の『At Parting』のミュージックビデオのことを思い出した。ご覧の通り、全身裸の彼の姿が写っている。これは先述した、リリックに対しての姿勢と繋がるところがある。

僕にとっては、裸にならないなら、あのビデオを撮る意味がないように感じたんだ。僕自身が物としてもつ脆さを表現したいと思っていたからね。でもあの撮影はかなりリスキーだった。だって公の場で撮影したからね。昼間のモントリオール美術館とか、ダウンタウンのビル、丘の上にある墓地とか、友達の家のプール、とにかく至る所でね。周りに人がいなくてラッキーだったよ。でも、この作品を撮る意味をちゃんと把握するためにも、リスクを負いたかったんだ。あのビデオを観て嫌な気分になる人もいるだろうけど、それに対しては、ごめんなさい、でもこれが僕だからって言うしかない。
 あのビデオを観て笑う人が多いけどね。日本の僕のファンの人でも、あのビデオの話をすると笑う人も多かった。仕方ないなとは思う。

 私の感想として、あのビデオには彼の意図していたことがちゃんと表現されていたと感じている。(ちなみに私は笑わなかった)
 彼がビデオの中で裸になったのは、恐怖を乗り越えるために必要な大胆さだったと考えていたからだ。世界に対して真実であるために、ベールに隠さず、そのままの彼自身である必要があったのだろうと、そう考えていた。これはアルバム『Stoic』に収録される一曲であるが、このビデオそのものもまた、あのアルバム全体としてのメッセージを表現しているように見えた。
 そう伝えると、「嬉しいな、そういう風に感じてくれる人がいるって。ありがとう。」と微笑んだ。

 かつては友達ともバンドを組んでいた彼。バンドを組むことに興味はないのかと尋ねると、「もちろん、バンドでまたやりたいよ!」と答えた。
ただ、バンドを組むにはお金がかかる。ソロの方がその点では楽なんだ。でも他のアーティストとコラボレーションはしたいと思ってる。

 2019年に日本のレーベルMoorworksと契約を結び、アルバム『Stoic』をJapanese Special Editionとして発表した。その経緯についても訊いてみた。
Moorworksの代表を知っている友人がいたから、彼を通じてコンタクトをとったんだ。そしたら、向こうも僕に興味を持ってくれて、それで実現できたんだ。本当は2019年11月にツアーを組む予定だったんだけど、僕の都合でそれができなくて、それでツアー自体は2020年2月になったんだ。」
 今年後半に開催予定の、カナダ、日本などで行われる音楽フェスティバルにもいくつか申請中とのこと。国境を超えて、積極的にライブをしていきたいと意気込んでいる。

Patient Handsの今後

 これまではモントリオールを拠点にし活動を続けていたが、今後はホームであるサスカチューンに戻る予定だという。
去年、サスカチューンのミュージック・アワードで、エクスペリメンタル部門の新人賞をとったんだ。サスカチューンには僕みたいなアーティストをサポートする体勢が整っていて、今回の日本ツアーに関しても、彼らのサポートがあってこそ実現できたところもある。そういう理由もあって、今は地元に戻ることが僕にとって最善だと思ってる。」

 今後は、ミュージシャンとしての活動も続けつつ、やはり大好きな哲学も続けたいと語る。
実はもう、出す予定のアルバムが3枚も控えてるんだよ(笑)学生の時につくった曲がめちゃくちゃあるんだけど、これまでにリリースする機会がなかったからね。だから、そのアルバムには昔つくった曲も収録する予定だよ。もちろん新しく書いたものも含めてね。どれとどれを一緒の作品として同じアルバムに収録すべきかは自分でわかっているから、アルバムのコンセプトはもちろんだけど、ピース(曲)の相性をみてそれぞれ組み合わせていっている感じかな。
 音楽的に少しずつ成功に近づけば近くほど、同時に哲学への想いが強まるところもある。だから、音楽と哲学のどちらとも、今後も引き続きやっていきたいなと思う。

 日本には、また新しいアルバムをリリースするタイミングで戻ってきたいというPatient Hands。インタビュー後、ギターを取り出して何曲か歌ってくれ、自身の使うシンセサイザーも見せてくれ、最後にはさすがの哲学ラヴァー、ギリシャ語で私の名前まで書いてくれた。重い荷物を持ちながら渋谷の駅に消える彼の後ろ姿を見送りながら、次の来日が待ちきれない私であった。

 まだ彼の生み出す、奥深い音楽の世界に触れたことのない人には、この機会に是非一度体験してもらいたい。今後の活動にも大注目したいアーティストである。

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