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めんどくさがりやの私が「お弁当箱」のおかげで35年以上お弁当が続いてしまっている話③

スピーチイベント「TEDxKIOICHO」にスピーカー登壇させていただいたときの話のテキスト化、最終話です。スピーチは18分以内と決まっているので、その時に話しきれなかったコンテキストも文字化してみました。
ぜひ、お弁当生活のきっかけや、お弁当箱=「中身を守りながら持ち運べる蓋つき容器」という存在が私たちの生活をいかに拡させたかの考察を含む①

そしてお弁当箱が具体的にどんな価値を提供してくれるのかを紐解いた②

と合わせて読んでいただけると、とてもうれしいです。

あなたにとってお弁当とは?

「ご自身やご家族のお弁当を作り続けている野上さんにとって、お弁当とはなんですか?」

と聞かれることが、結構あります。35年以上、なんだかんだとつくってきて、お弁当箱自体にこんなに魅力を感じている私にとって、お弁当そしてお弁当箱ってなんだろう。そのとき私は「モバイルな食卓です」と答えます。

お弁当はモバイルな食卓だ

食卓にならぶ、普段の食事を小さくまとめたお弁当をそう思うきっかけになった出来事が1つあります。

私は2度結婚していて、3人子供がいます。最初の結婚は大学卒業してすぐ、そして22歳と24歳で上の娘2人を産みました。私たち3人は、本当に手と手を取り合って生きてきた気がします。

離婚が決まり、もともと住んでいた家を子どもたちと3人で出ていくその日は、当時中学1年生だった長女が部活の試合の日でした。その日の朝、私たち母娘はいつもと変わらずに過ごすことを、何よりも優先していた気がします。

お弁当に何を持たせたか、中身は全然覚えていません。ただ、いつも使っている白い2段のお弁当箱におかずをたくさん詰めて、大きなおにぎりも2個持たせて、
「ここじゃなくて新しい家の方だからね!帰ってくるの!忘れないでね!ここじゃないよ!おっけー!いってらっしゃい!」といつも通りに送り出しました。

公立なので携帯を持たせられず、試合の応援も行きたかったけど、何せ引越しがある。長女は気丈に、というか、何事も変わらぬように「はいはいー、いってきまーす!」と出かけながら、私にそれを見せぬようにしながら不安でいっぱいだったかもしれません。

食卓は、私たちのコンフォートゾーン

その日は、私たちが一番一緒に長く時間を過ごしている食卓がなくなり、そして新しい場所へ移る日でした。
私たち3人がたくさん笑ってたくさん話してたくさん食べるその食卓は、場所やサイズが違っても、変わることのない私たちのコンフォートゾーンです。それがあるからこそ、私たちは新たな世界に飛び出していけます。

お弁当の蓋をあければ、帰れる場所、コンフォートゾーンがあり、食べ終えて蓋をしたらまたチャレンジングな世界へと飛び込んでいく。その場所と時間を持たせることができたのは、お弁当箱という、持ち運べる小さな箱のおかげです。

だからお弁当には何を入れてもいい

食卓には、ごはんとおかずの食事だけでなく、おやつも、レストランのテイクアウトも、カップラーメンも並びます。食べる人が食べたいものを食べる場所です
私が「お弁当に何を入れたらいいですか」と聞かれる時に、なんでも好きなものを入れるのがいいと思うのは、お弁当箱がモバイルな食卓だと思っているからなんだと、今回改めて気づきました。

お弁当箱は「中の食べ物を守りながら持ち運びできる蓋つき容器」で、中に入れるものは決まってないです。中身が全部手作りである必要もなく、どこかで調達するかも自由です。
食べる人にとって食べたいものが入っていて、それがいつでもどこでも食べられる。蓋を開ける時ワクワクして、食べることで心身が満たされ、元気になれることが一番です。

お弁当箱、というモノの存在価値

お弁当は、とかく味や盛り付けの美しさなど、中身の話ばかりが先行しますが、その前に「心地よく生きる」という目的があり、それがあって初めて、それに伴う食事という行為の手段の選択肢の1つになります。
当たり前のことなんだけれど、ついそれを忘れがちになったりします。

「持ち運べる蓋付き容器」=お弁当箱。このモノの存在が、時間と場所の自由度を上げ、食事を可視化しやすくし、食への想像力を鍛え、意外にも家事の手間やゴミを減らし、そして食事のエンタメ性さえあげたりする。

と、重箱の隅をつつくように、「お弁当箱」の魅力を紐解いてみました。
私の大好きなお弁当箱の話をする機会をいただけて、とてもうれしかったです。
本当にありがとうございました。

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