32歳だけど木登りしたいし道端で寝たい
あと、知らない人に話しかけたい。
どうも、ゆかいです。今年後厄の32歳女です。
今回は、「自分の幼稚さ」と「大人の常識」のズレにどう向き合うかを考える回です。
ほんとは無邪気にこんなことしたいよ
木登りしたい
5歳児みたいに木登りして遊びたいんです。
幼稚園の頃、園庭に大きな木がありました。幹が大きく渦を巻くような形をしていて、遊具のように登りやすい木。ごつごつした幹の手触りは少し滑らかで、素手で掴まるのにちょうどいい。
渦巻く木の途中まで登ると、幹が横に伸びて平坦になっているところがありました。ちょうど新幹線の座席のテーブルくらいの広さ。近くの砂場で作った泥団子を持って木に登り、そのテーブルの部分にいくつも並べる遊びをしていました。
あんな木があれば今だって登りたい。だから、公園に行くとつい探してしまいます。むしろ、そういう木を探しに公園へ探検しに行きたいくらいです。
道端で寝たい
初夏の夜って気持ちいいですよね。日中の暑さの気配が少し残るなか、夜の涼しい風が、露出した肌を撫でる。そういう夜にほろ酔いで静かな道を一人歩いていると、「ここで寝転がって目を閉じたら気分がいいだろうなー」と思うことがあります。
先日のある深夜、試しに実行してみようかとベスト横たわりスポットを探しながら歩いていると、目の前をカサカサと横切る害虫…… その日の「道寝願望」は一気に消失したのでチャレンジならずでした。だけど道寝願望はわりと普段からあります。
知らない人に話しかけたい
そう思うこと、ありませんか? 私はよくあります。例えば、とても自分好みで素敵なファッションの人を街で見かけたとき。大絶賛の気持ちをただ伝えたい。「そのワンピース、個性的でお似合いでとても素敵です! わぁ、ピアスも見たこと無い形で可愛い! 明るいヘアカラーが映えるスタイリング、超キュートです!」といったふうに。
あと、喫煙所で退屈なとき。そこに居合わせた人と、今日はどんな日だったか、楽しいことがあったか、このあと何をして過ごすか、とかそんな雑談をしたい。知り合いになりたいわけでもなく、ただ雑談してさらっと別れたい。
大人って、常識って、窮屈!
ここまで挙げた行動をなぜ実行しないのかって、大人だからです。「常識的な大人はこうあるべき」の行動規範に当てはまらないから。
実際にそういう行動をとったときに、周りから変な目で見られることはわかる。他の誰かと一緒にいればなおさら。その人も一緒に白い目で見られて、恥ずかしい思いをさせてしまうとわかる。それだけの社会性は備えている。
でも、あ~あ、
大人って常識って、なんか窮屈!
そんなふうに思っているから、ときどき幼稚な行動をとっては「変わった人」「面白い人」「自由な人」と言われます。薄ら悪口です。そう言う人は内心で私のことを「非常識な人」と思っているんです。
そう言う人たちは、大人だから我慢しているの?
それとも、大人らしくない無邪気な願望自体が無いの?
ADHDの精神年齢は実年齢の3分の2説
こうして大人の常識に対して違和感を抱いていたところ、「ADHDの精神年齢は実年齢の3分の2説」を知りました。ADHDの私、どうやら精神年齢が低いらしい。
俗説としてもよく言われている上に、このツイートのツリーにはソースまである。
精神年齢が低いから、32歳になっても大人の常識に馴染めない。なんだかとても納得感があります。
この説を知る以前に、自身の精神的な未熟さについて過去に私はこんなツイートをしていました。
この「精神の成長が実年齢に追いついていない」という実感は、アメリカの臨床研究でもエビデンスのある事実だったということです。
しかし、それが事実だと知ったところで、精神が急に成長するわけではない。大人らしくない無邪気な願望は消えない。では、その願望をどう扱っていけばよいのでしょうか。
精神の未熟さを知った上で、私は木に登るか?
無邪気な願望がいくつもある。しかしそれが大人の行動規範に当てはまらないことは理解している。さらに、自分の精神が未熟であることを知った。
では、無邪気な願望を押し殺して、「大人」の枠にハマりにいかなければいけないのでしょうか?
それは、
未熟さを自覚した上で、そのときに自分が決めたらいい
と思うのです。
自分の考えが未熟であること、幼稚であることは、まず自覚しておいたほうが良さそうです。だって今までも、ナチュラルに行動したときに「変わった人」扱いをされてきたのだから。やはり周りからすれば未熟なのでしょう。
だけど、自然体でいくか、枠にハマりにいくかは、その時々で決めていい。それくらいの余白は自分に残してあげたいです。
だから「常識的な大人」として見られたいときは、無邪気さが発現しないように自覚してコントロールする。笑って受け入れてもらえそうな相手といるとき、周りに迷惑をかけない場面、不審がられない範囲では、無邪気な自分のままでいる。言ってしまえばTPOなのだけれど、未熟さを自覚することで少し態度は変わるような気がします(特に常識的な場面での順応性において)。
32歳、これからも楽しく自分らしく生きるために、常に大人でいようとはせず「時には大人も木に登る」というスタンスでいこうと思います!
最後までお読みいただきありがとうございます!
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