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1. アヤワスカとの出会い


わたしがブラジルに移住したのは2009年、
今年でブラジル在住15年になる。

旦那が日系2世で、
母親と折が悪かったわたしは、
息子が生まれて10ヶ月の時、
逃げ出すようにブラジルに来た。

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2年後に娘も生まれ、
仕事が忙しい旦那はほとんど家にいない中、
子育てと海外生活の孤独で、
わたしは引き籠もりになった。

自分のネガティブと闇と
子育てノイローゼ?で鬱になり、
薬を飲んでいた2年間はほぼ記憶がない…

その頃…ある日突然薬を辞めた。
そしてある日突然、
友人に真実を突き付けられた。

「あなたが不幸なのは誰のせいでもない。
あなたが変わらなければいつまでも続くよ」

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その日からわたしは変わる決心をした。

気付けば四方を塞がれた真っ暗な井戸の底にいて、どこからどうやって始めればいいのかさえ分からなかったけど…

そんな時、FB(前のアカウント)で知り合った日本人シャーマン…

彼に色々教えてもらったけど、
(守護アニマルが鳳凰、人生の役割がシャーマン、琴で弾き語りをする…など)
最後に彼はこう言った。

「ブラジルにいるなら…
アヤワスカは絶対にやっちゃダメだよ。
あれは悪い精霊が宿ってるから。」

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それが 、
#アヤワスカ との初めての出会いだった。

初めて聞いた言葉をネット検索してみると、
当時はまだアマゾンでゲロゲロ吐いてる怪しい白黒動画とかしか見つけられず…

サンパウロだし、いくらブラジルにいるからって自分の人生に登場してくることはないだろうと、それ以来わたしは #アヤワスカ のことは忘れてしまった。

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自分を変える。
わたしは勇気を出して、
自分のしたいことをするんだ!

そう決意してまず最初に、
わたしは鼻ピアスを開けた。

それからわたしは、
サンパウロの駐妻勉強会グループに参加し、
一人でバスや電車、
地下鉄に乗って出かけるようになった。

琴もトントン拍子で全てが揃い、
沖縄県人会で古典音楽を始めた。

息子とはまだ上手く行ってなかったけど、
引き籠もりからは脱却した。

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子供たちも大きくなり、
少しは余裕も出て来たけど、

わたしはやっぱりまだまだ自分迷子だったし、
何より生理的に受け付けない息子との関係にうんざりしていた。

その頃ブラジルでも、
ひと足遅くコロナが始まり、
わたしは自分の生き方を見直していた。

「子供たちが自立した後、残るのはわたしとあなた(旦那)だけ。その時ちゃんと子離れして自分たちの幸せを生きられてるように、今から少しずつ始めよう。」

「わたしたち旅が好きじゃない?わたしはいつか閉塞的な日本で息詰まってる人が、人も文化も正反対の地ブラジルに来て、有名な観光地じゃなくローカル体験を通してカルチャーショックを受け、そのエネルギーを日本に持ち帰るみたいな…そんなお手伝いがしたい。」

「大人になってしまった子供も含め若い人たちに、日本だけじゃなく全く違う世界もあるのだと体験して欲しい。そして自分の中にある大きな(世界に飛び出す程の)勇気に出会うきっかけになれば…」

そんなことを旦那に話していた。
彼は否定することなく聞いてくれた。

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コロナになり学校がオンラインになった。
そこからわたしと息子の関係がどんどん苦しくなり、わたしももちろん苦しんでいたけど、
息子はすでに壊れかけていた…

わたしは藁にもすがる思いで、
たまたま見つけたアドラー心理学セミナーの
オンライン講座を取ることにした。

それがきっかけで、
わたしは大きく変わり始めた。

彼が自分の鏡であることに気付き、
わたしは彼を少しずつ手放し始めた。

長年のツケは大きかったけど、
それでももう一度やり直し、
わたしたちは再スタートすることにした。

彼は元気になり、
わたしは更に自分と向き合うようになった。

-

その頃突然、2週間の農場滞在プログラムに参加することになった。

片道3時間かけて旦那が送ってくれた。
わたしと子供たちの過ごすテントを建て、
必要なモノを整えると、
2週間後にまた迎えに来るからと言って、
旦那は一人サンパウロに戻って行った。

そこでわたしは6年ぶり位に
#アヤワスカ と再開することになった。

続く

#ブラジル
#サンパウロ
#アヤワスカ
#インディオの儀式
#案内します







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