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初夏の、快晴の、昼下がりのあはれ

ネットショップで作品や雑貨を買ってくださった方へ手紙を書き、梱包し、郵便局へ行って送る。「作る」から「送る」まで、ひいては確定申告まで全部ひとりである。いや、確認するまでもなくひとりなんだけど!でも、会社勤めが長かったわたしにはいまだに新鮮な事象である。営業部と制作部の気持ちの衝突もないし、上司もいないし、珈琲は自分で淹れるし、いやまったく孤独な世界である。

郵便局から帰る道すがら、耳に音楽を流しながら「悲しい」と思う。理由はない。孤独なことが悲しい、そうかんたんに言い切れるなら悲しみはすぐ砂の城のように失われるはずだ。「悲しみ」「さみしさ」は自分の心が何度生まれ変わっ(たと思っ)ても、ひっそり生きている。そしてその気持ちは自分が自分の心に向き合おうとするかぎりずっとそこにあるのだ。

この消えない「悲しみ」と似た周波数がある。それは音楽であり、気配であり、景色であり、色のにじみである。わたしがものを作るとき、「悲しみ」は一つの大きな原動力であり、目指すべき星であり、帰るべきところなのだ。自分の心ではあらがえない力に背中をおされ、導かれ、救われながら、いのちを使ってなにかを残していく。本当にただそれだけである。太陽に照らされて汗をかきながら歩く、自分のうちの営みを見つめる。あはれ、と思う。


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柊有花
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