彗星
湾を渡る電車のなかから彗星を見た。
明るく晴れ渡った水色の空のなかに一筋の発光する星。それはやわらかく尾を引いて光る屋根の向こうへ沈もうとしていた。
日を跨いで何度も巡ってくるその星が遠ざかるまでの宇宙で言えば一瞬の時間を、わたしは地球の上で、スローモーションで眺めている。長い旅の途中で一瞬だけ濃密に記憶を残してふたたび離れてゆく。何の意味もないことに、物語を想起させられるわたしは人間だ。
電車はやがて湾を越え、わたしは目的の駅で降りる。
夏の太陽にたくましく育てられた野草が繁茂する広場には、傾きつつある太陽の光が野草の細い葉を照らしている。あふれた光はシジミ蝶の羽になって求愛し、連れ立って飛び交う。
高い木のあいだからこぼれる太陽の光はわたしの白いシャツを照らし、蟻の背中を照らし、捨てられたたばこを照らす。眼前を横切ったアゲハ蝶もまたひらりと明るく太陽を越えていき、鳥たちの声が空から降ってくる。飛び交うすずめの腹は白くまぶしい。
彗星とともにわたしたちは太陽に照らされている。金木犀の匂いに満たされたこの広場で。
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