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紆余曲折のデザイン人生を紹介

はじめまして。
グラフィックデザイナーの竹村由佳です。
専門学校卒業から早30年。
主にフリーランス時代にまとめていたブログ記事を中心に、デザインや起業に関わる話を投稿していきます。
これまでの自分を振り返りながら、自己紹介を兼ねて


専門学校〜会社員時代

インテリアからグラフィックへの転換

1991年、専門学校桑沢デザイン研究所に入学。
美大受験に失敗し浪人中、インテリアデザイナーの大御所・故倉俣史郎氏の追悼展に触発されて、桑沢に進学しインテリア・住宅デザインを専攻しました。

卒業後は家具工場や建築会社に就職するも、25歳までに倒産を2回経験。
再就職もままならない中、友人の紹介で外資系化粧品メーカー派遣社員、その後契約社員になりました。
とても働きやすい環境ですが、業務はデザインよりも印刷管理が中心ものづくりとはかけ離れた内容に物足りなさを感じていました。

グラフィックデザイン制作会社での苦悩

30歳を過ぎ、さらにスキルアップを目指して制作会社に転職し、通販カタログ制作ディレクションを行いました。が、残業がなんと200時間超!
やりがいあって面白い仕事でしたが、体重は33キロまで落ちて身体を壊し、1年経たずに仕事を辞めました。
売れる前の大物モデルさんを撮影したり、休みがないのでロケハンがてら昼からビール飲んだり、スタッフの手配を間違えて1000万円すっとぶところを社長に助けてもらったり…振り返ると面白かったのですが。

ついでにこの時は、年齢的には結婚を意識していたにも関わらず、彼氏と別れて仕事も辞めて身体を壊してお金もない…人生の底なんじゃないかと思います。

派遣社員〜印刷会社へ就職

その後3年ほど派遣を中心にデザイン会社を渡り歩き、35歳で印刷会社の正社員となりました。
この歳でありながらも、まだまだ自身のスキルの低さを痛感し、上司からの叱責や残業が続いて辛い日も不満もありましたが、仕事はとても面白くやりがいがありました。もう結婚も諦めていたし、学生の頃からの趣味であるオートバイに給料を費やし、定年まで楽しく過ごせると信じていました。

ですが…印刷会社入社から4年経ち40歳を目前にした2012年に入り、オートバイの共通の友人を通じて再会した方と半年で結婚、2ヶ月後に妊娠がわかったので、印刷会社を退職しました。

フリーランス「うさくま堂デザイン」

保育園問題とうさくま堂デザイン開業

妊娠出産で1年半、専業主婦しながら慣れない育児に奮闘していました。
埼玉県朝霞市は保育園事情が厳しいため、再就職にあたっては「保育園が先か就職が先か」のジレンマがあり、どちらもうまくいきません。
そんな中、Facebookが流行りSNSを活用した女性の起業が着目され、私もフリーのデザイナーになれば保育園問題が解決できると気づき、2013年11月11日「うさくま堂デザイン」という屋号で開業届を出しました。
無事に希望の保育園に入園が決定。1歳児からの入園が可能な上、市境に近く駅から遠く希望者が少ないため、比較的入りやすかったのかもしれません。

宮城県仙台市へ転居

保育園が決まって2ヶ月、営業活動も軌道に乗り始めたところ、夫の転勤が決まりました。
頼れる身内や知り合いもない上、仙台市認可保育所は待機児童に溢れています。なんとか隣町の無認可保育所が見つかるも絶望しかありません。
業務請負のデザイン仕事で保育料は賄えるも、仕事量が多く時給換算で500円、仙台で最初のお客様からは納品前に予算が合わないとキャンセルされる前途多難っぷりでした。
さらに土日は完全にワンオペで、かわいい盛りの息子の世話やしつけがストレスとなり、いつも疲労困憊で手を挙げることもありました。
そこで、思い切って業務請負を終了。時間の余裕から息子と過ごす余裕が生まれ、営業活動を通じて友達ができ、仙台市の街歩きガイド養成講座の受講で街への愛着が湧き、東京から全国でセルフブランディング&ブログ術の講座を行う「かさこ塾」を仙台で受講し、全国でのつながりが生まれました。さらに仙台市認可保育所の入所が決まり、仕事もパート以上の収入が見込め、仙台で楽しい生活を始められると確信したのは言うまでもありません。

しかし、予定より3年も早く東京へ戻ることになりました。

東京都板橋区へ転居

三度目の保活(保育園活動)。
3歳児クラスで5月から通える園は殆どありません。埼玉南部は全滅、城北エリアでは板橋区のはずれに1つだけ空きがあり、園から通える範囲に転居しました。
やっと慣れてきた仙台の街や親しくなれた友達と別れることは本当に悲しく、いろいろ割り切れない気持ちが続きます。それでも「かさこ塾」での学びから地域ではなく全国に目を向けることができたおかげで情報発信を行い、北は北海道から南は鹿児島までお仕事の依頼を受けることができました。
また、板橋区の中心部のシェアオフィスに登記し、実務を行ったことで、地域交流もできました。そこで知り合った方からお仕事の依頼があったほか、現在の趣味であるマラソンやトレイルランニングも、ここでお会いした方とのつながりがきっかけです。

うさくま堂デザインの廃業

仕事の驕りとデザイン事情の変化

順調に仕事の受注をいただき、Webデザインの勉強もして仕事の幅を広げ、プライベートも楽しく過ごし息子も小学生になった頃、コロナで活動が自粛されました。
そんな時期、私自身の仕事の驕りとWebデザインへの知識不足で、お客様を裏切ってしまいました。更に仕事のミスが続く上、世間の自粛ムードも重なり、仕事に対する覇気がなくなってしまいました。問い合わせを見落とすことも度々あり、既存のお客様からの依頼に対応するも新規のお客様はお断りしました。
また、ペライチやCanvaが浸透し、頻繁に用意するチラシやホームページは、デザイナーに頼まなくても自分で簡単に作れるようになり、問い合わせ自体が激減していたのです。

家具量販店でのパート

お客様に向き合えない申し訳ないし、かといって収入がない状態は好ましくないため、扶養範囲内でパートを始めました。
家具やホームファッション用品の販売員…かつて志した家具やインテリアの世界、新卒で履歴書を送った会社の商材に囲まれています。
来店したお客様のお話を聞いて、最適なアイテムをご提案します。(実際は品出しや雑用が多いですが笑)
発注や配送の手配が難しく覚えられず仕事全般あたふたしている中、お店の店長から言われたことは

竹村さんは自営業の経験もあり、お客様が求めていることを知ろうとする姿勢はある。これからは、お客様からどう見られているかを考えて業務にあたると、ミスなく落ち着いて仕事ができ、お客様の満足度が高まる。

起業系のセミナーやコンサルはよく「自分らしさ」「自分はどうありたいか」を多く投げかけられたり、仕事の基本として「お客様は何を求めているか」を考えて行動しますが、自分がどう見られているかの意識が欠けていることを認識しました。
グラフィックデザインを離れざるを得なかった理由のひとつに、自分がどう見られているかの視点が足りなかったかもしれません。

これから

2024年8月30日、11年9ヶ月続けてきた「うさくま堂デザイン」を廃業しました。現状ではパート1本ですが、引き続き依頼を受けたデザイン業務は行いますし、反面フルタイムパートや正社員雇用の道があれば、そちらへ移行もします。

自分のやりたいこと・得意なことをしっかりと発信し、逆に苦手なことやできないことは無理に克服せず得意な人と連携し、お客様に満足のいく広告や宣伝ツールを提供します。
家具量販店での販売員の仕事もつづけるので、インテリアデザインのスキル・特に窓装飾に関する知識と経験を高めて、そのノウハウも発信できたらいいですね。
当面は自営業でグラフィックデザイン、パートでインテリアに関することを行いますが、いづれはどちらのデザインも個人でできるように目指していきます。

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