見えていなかった面を知る
あっという間に2020年が終わろうとしている。
12月は師走と言われるようにとってもバタバタと過ごしてあっという間に過ぎ去っていったけれど、ほっておくと出現する部屋の隅っこに溜まる綿ぼこりのようなもやもや。
小さいうちに取り除きたくって、またCotreeのオンラインカウンセリングを受けた。
最近、心のもやもやに敏感な心の潔癖症なんじゃないかと思ってる。笑
前回と同じカウンセラーさんにお願いしたくって、12月の中旬頃に予約を使用としたら、なんと年内は予約いっぱい・・・泣
でも2020年のうちにすっきりしたいなと思って、ダメもとでリクエスト送ってみたら予約ができた!
リクエスト機能初めて使ったけど、お話したいカウンセラーさんが決まっている人は予約枠が空いてなかったら打診してみるといいのかも。
何もできないという無力感
仕事は楽しい。
ちょっと忙しいけど。
友達には恵まれている。
親友は結婚して、こどもができて、このコロナの状況もあってなかなか会えないけど。
それなりに楽しい生活を送っている。
あいかわらず、彼氏はできてないけど。
日常に大きな不満はない。
だけどもやっとするのは、この平穏な日常がまったく脅かされていないわけではないからだと思う。
去年うつになってから、自分の中でのアラート機能の精度が高くなった。
ベッドに入ってから「眠れない」と思った日に、午後にコーヒーを飲んだとか理由が見つからないときは、ちょっと何かに追い込まれている時のサイン。
朝起きて、おなかが空いてないのに、昼も空いてなかったときは、人間関係に不安があると出やすいサイン。
自分自身の発するサインに気づきやすくなったことで、仕事をセーブしたり、休養を積極的にとったりして、”平穏な日常”を失わずにここまで来た。
この部分に関しては、自分なりに成長ポイントだと思うし、不安もない。
自分に対しては、この一年で「できること」が格段に増えたのだ。
じゃあ、私が今回感じていたもやもやは何なのか?
カウンセリングを受ける前から気づいていたのが、私自身が昔から苦手な「できないこと」に対するもやもや感。
特定の何か苦手な動作があって…という話ではなくって、課題が見えているのにそれに対して「自分にできることがない」という状況が溜まらなく苦手なのだ。
勝手に責任を感じて、勝手に焦って、勝手に苦しくなる。
最近特にそれを感じたのが、うつになったことをきっかけに、同僚とか友達とか少し近しい関係の人のサインを見つけるようになったこと。
「ちょっと、しんどそうかも…?」
「このままだと、辞めちゃったりしないかな…?」
「休みに入っちゃったりしないだろうか…?」
なんとなく、相手の表情やまとっている雰囲気から、去年の私に似ているポイントを見つけてしまう。
そして、たいてい1,2か月後に休みに入ったり、退職したり。
「体調は大丈夫?」と聞くと軽いうつが出ていると打ち明けられたり。
自分が辛かったからこそ、環境的な要因での負荷を減らせるなら減らしてあげたいって思うけれど、ただの友達としてできることも限られているし、ただの同僚としてなんてもっと無力で、気づいているのに何もできないってことに関してもやもやが溜まっていた。
近しい人だからこそ、似たような環境に身を置いていて、今の私は平穏だけど、いつか私もそうなるんじゃないかという未来に対しての不安も募る。
今のうちに、何とかしたいけど、私には何もできない。
この無力感が、私の平穏な日常に波風を立てる。
「できてるよ」
今この瞬間に、私にとって実害のあるものを抱えているわけではない。
「自分がどうしたいのか」というゴールがいまいち自分でもわかっていないから、友達に相談するにしてもうまく言葉にできないし、何のアドバイスをもらっても刺さらない気もする。
そんな気がしてしまうからこそ、身近な人には相談しにくいと思ってしまう。
吐き出しながら、自分のもやもやを形にしていく過程がカウンセリングの醍醐味だなと思って利用している部分もあって、とにかく穏やかに聞いてくれて整理してくれるカウンセラーさんに吐き出すことをメインにセッションを受けた。
すると、思いがけずこう言われた。
「ゆかさん、『何もできてない』っていうけれど『体調、大丈夫?』って声をかけたことは【できたこと】の一つですよ。」
ポカンとしてしまった。
何か具体的な改善策とか、新しいアクションとかを生み出さないと、根本的に解消する案を作らないとって思っていたけれど、「声をかける」だけでいいの…?
他にもきっとできることはあるし、声をかけるだけで充分ってことではないんだろうけれど、私が私自身に感じていた無力感は、この声掛けを【できたこと】として認定することでだいぶ薄くなった。
そうか。
そうだったのか。
言われてみたら、とってもシンプルなんだけど、なぜか渦中にいるとそうとは思えなくって、第三者にいわれることで「そう思ってもいいかも」と思えることがいいのかもしれない。
もやもやっとしていたものは、私が私自身に向けていた攻撃で、私自身が自分への攻撃さえ止めればある程度は改善するのに、どうしても自分の力で止めることができなかった。
単純なことかもしれないけれど、誰かに肯定されるとホッとするんだなと思った。
不安になっている時は、たいてい自分に対して肯定する気持ちが薄れている。
否定するような言葉ばかりが湧いてきて、負のスパイラルにハマってしまう。
抜け出せないって思っちゃうけれど、絶対に否定しないカウンセラーさんたちに意図的に甘えてみてもいいのかもしれない。
褒められたら嬉しいし、自分のこと認めてくれたら安心するし。
自分がみている自分の姿ももちろん真実だけど、自分のことは鏡に映った自分しか見えないから。
全然見えていなかった面から肯定してもらえたら、「そうなのかも?」って安易に受け入れられたりもする。
自分で自分のことを肯定的に受け止められるなら、カウンセリングは必要ないと思うけれど、自分が弱っている時やどうにもうまくいかないって思うときは、自分の外側から肯定してもらうのは一つの手段。
悩みによって、使い分ければいいだけのこと。
身近な人で解消できる人もいるし、自分を知っているからこその肯定する言葉やアドバイスがもらえることがある。
でも、内容によっては全然知らない人の方が良かったりすることもある。
自分のすべては見せられないからこそ、断片的な私の中から見出された側面は、新しい気づきなったり思いがけず勇気になったりする。
私はずっとサイコロの2の面だけを見ていて「どうして6になれないんだろう」って思って足りない4を探していたけれど、「下に6があるよ」って気づかせてもらった。
そうか、たまたま、床面に向いてて気づかなかったんだね。
大掃除に精を出す年末に、綿ぼこりもきれいに取り払って、ついでにタンスの中から500円玉見つけた気分。
年に一回大掃除をするんじゃなくて、日々ちょっとずつ掃除をするような感じで、2021年も自分と向き合っていけたらなと思います。