人生を謳歌する心意気を持て!
最近仕事で性教育や家庭のこと、教育についてなど色々見聞きする機会があったのだけれど、
昭和50年代いや、もっと前から日本の女性の悩みはちっとも変わってないことに驚いた。
夫が子育てを手伝ってくれません
育児ノイローゼ
コインロッカーベイビー
子供たちの性が乱れている
コミュニケーション能力が低い
などなど…
言い方がちょっと違ったりするだけで、
夫婦間のコミュニケーションだったり子育ての悩み、思春期の子供がキレる、ご近所問題…
悩みの本質は何も変わらない。
女性がまだ働くことをよしとされなかった時代も、働くのが当たり前になった令和でも女性の悩みとかほぼ変わってない。
と、いうことは?
個人の質でしかないのだろうと私は思う。
賢人たちはいつの世も大抵同じことを言っている。
曰く、愛が大事とか、感謝しようとか、本質的なことだ。
ここに女性だから男性だからとかは入ってない。
人としての在り方や幸せを説いているように思う。
それを頭の悪い変な大人が、不平等だとか損たとかなんで私だけ?なんて言って、なんのためにそれをやるか?どんな意味でそれを言ったか?という本質を見もせず、想像力を働かせることもなく、ぎゃーぎゃー表面上の損得利益や見栄えを気にして勝手に引っかかってがなり立てるものだから、無知な大衆はすぐにそれに煽られてあっという間に本質を見失ってしまうという訳である。
だとすると、時代がどんなに進化しても、テクノロジーが発達しても、人間の質そのものが担保されていなければどんな知識も科学もほとんど役には立たない。
教育、政治、家庭環境、いろんな要因はある。
質を担保するためにこれらは水準が高くあって然るべきなのだけれど、そこに期待をしていてはいけない。
これは諦めではなく、自立である。
つまり、自分自身が自らでその質を高めるしかない。
1人1人の質が高まれば教育も政治も変わらざるを得ず、また引き上がるしかない。
全体的な底上げが可能となる。
いつまでも教育が、政治が変われば!だなんて期待をしていてはいけない。
無知な大衆に甘んじていてはいけない。
それは緩やかな依存である。
国の体制やルールを破れということではなくて、ひとりひとりがどうやったら毎日の、人生の、自分の質を高められるか?幸せで在れるか?をしっかり考え実践することだ。
それは、何のためにやるのか?自分はどうしたいのか?と常に問い、本質を抽出し、望み、叶えるというクリエイティブな作業。
自分を生きる!という実感が得られるのだろうと思う。
自分の人生に集中しているとも言えるし、自分軸だともいう。
総じて、
人生を謳歌する心意気のこと。