幸せに生産性はない!
やってどうなるのか?
意味はあるのか?
生産性は?
そうしたことばかりに焦点が当たっていた世の中があって、
でも意味のあることをやっても誰かの役に立つことをしていても満たされない人がたくさんいることも事実で、
でもみんなに共通して言えることは〝幸せ〟を目指しているということ。
幸せになるために能力やスキルや何かやあるいは物質的なものだとか、容姿の美醜などか必要でと思われていた訳だけれど、
そもそも、
幸せに生産性ってないのだと思う。
誰かにとっては意味のあることでも、
誰かにとってはまったく無意味なこと。
幸せって自己満足なのだ。
例えば私は昔実家で猫を飼っていて、猫をモフモフしたり一緒に寝るのが大好きだった。
その時の私は紛れもなく幸せだった。
この時間私はまったく何も生み出してはいない。
さっぱり生産性はない。
でもそこに至福の幸せを見いだしていたのである。
ほかにも、ベッドで横になりながら本を読み寝落ちするとか、行きたかったカフェに行くとか、食べたかったおにぎり屋さんのおにぎりを食べるために2時間半並ぶとか、寒い外から帰ってきて入るお風呂の温かさなどもうたまらない。
…書いていてもやはり生産性は見当たらない。
人によってはそんなことよりもっと時間を有意義に使えと言うのだろう。
でも私にとってそれはとても大切な時間だし、そのために頑張ろうと思えたりもする。
幸せになるために能力はいらないのだ。
従って、
幸せに生産性はない。
幸せとは在り方のことだから。
目には見えないんだよ。
これまで毎日、思えば膨大な情報に晒されていた私たちは今、目には見えない、けれどとても大切な何かを見ようとする時間を与えられているのだと思う。
見えない何かを見ようとしたその先に、
私は言葉が生まれるのだろうと感じている。
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