見出し画像

私と母と名古屋の関係

幼いころ、泊まりがけで遊びに行くと母は寝るときに方角を気にしていた。

「お母さんは北枕が気になるの?そんなにお化けが怖いの?」

とからかう私に母はそうじゃないと切羽詰まった様子でした。

電気を消して寝ている時に私はまだ興奮で寝付けず、そんな私に母はさっきの話だけど…と寝物語に声を潜めて語ってくれました。

廣野家の女子は名古屋に足を向けて寝てはいけないんだよ、と。

まだ幼いからわからないだろうけど、名古屋に足を向けて寝てはいけないと覚えておきなさい。女の子が生まれたら、きちんと教えてあげなさいね。

「なんでなんで」

と目を爛々と輝かせて聞く私に、廣野家の歴史を知れば名古屋に足を向けて寝る気になれないというのはわかるよ、おやすみと母は寝てしまいました。

私は悶々と(主に怖い方向に)想像を働かせて、すっかり寝不足になるのでした。

後に母が語った私の祖先の話です。

織田家家臣犬山家の姫様を娶ったのがおばあちゃんの祖先、山村家。

山村家はその奥方を大奥に送り込むことに成功。

奥方様は毒による暗殺まみれの大奥で、仕えた若様(姫様かも)を無事お守りすることに成功し、お勤めを果たして大奥から輿に乗ってお戻りになられました。

奥方様が亡くなられた際には、江戸から立派な墓をプレゼントされました(東大阪にそのお墓はあります)。

その石切の石工と恋に落ち、大阪へと駆け落ちしたのが山村家総領娘。

石工には商才があり、商いで成功し、娘を取り返しに来た山村家に正式に許されます。

その山村家総領娘が命と引き換えに産んだのが私の祖母です。

祖母は乳母日傘で何不自由なく育ちました。母を知らぬと憐れまれ、食べたいものに視線を送るだけで、兄である家長の膝で手付から箸で口元に持ってこられるような育ちをしました。兄の子どもたちは、戦時中というご時世で満足に食べられないのに、同じ食卓でも祖母は家長のおすそ分けでなんでも食べることができたのです。

その兄のお嫁さんも、名古屋出身だそうです。祖母の母代わりとはいえ、嫁ですから厳しくしつけることもできず、後に祖父に謝罪したようです。

わがままな娘に育ててしまって、申し訳ない…と。

祖母は山村商店の専務であった、祖父の廣野光と結婚することになりました。

祖母はもう行き遅れの年齢だけど、どうかよろしく頼む、と頭を下げられた格好です。

結婚生活一日目、ご飯が炊けない、と自宅に帰った祖父はかまどの前でしゃがみこんで泣いてる祖母を目にします。

その日は外で食べようと、連れ出しますが次の日から困ったなぁと。

山村家の奥様は即日、通いの家政婦を派遣することにしました。

ここで食い違っていたのは、祖父の母は武家の娘であったけども、お端仕事もきちんと自らこなしていたということ。

祖母は自分にお端仕事をさせるなんて、ひどい夫だとお姫様気取りであったこと。

昭和の時代においても、江戸時代の身分制度の感覚が祖母にはこびりついていたのです。

派遣されてきた通いの家政婦に炊事洗濯を習えばいいと諭されても祖母は知らん振り。

生まれた長男(末っ子で母の姉、母も)すら、育てるのは乳母(というか家政婦をまた実家から派遣されたようです)。

実家もみかねて家政婦の派遣をとりやめると、娘二人が炊事洗濯担当に。

ガスも周りのお家はみんな通っているのに、祖母は困らないからお金かかるし、となかなか通してもらえず、薪(!)を買ってかまどでごはんを炊く炊事と薪で風呂を沸かす生活を強いられたのは母とおばでした。

家事もせず祖母はどういった生活をしていたかというと、映画を見に行ってナンパされちゃったからお茶を楽しんできた、とごきげんな様子で食卓で報告する始末。

そのお小遣いを少なくすれば、実家に甘えればよしよしとお小遣いをいただけるのだから、祖父がぐれちゃっても仕方ないと思います。

祖父は戦争で大陸へ行ったので、アノ従軍慰安婦のお世話にもなったようです。

母のぬくもりを思い出すかのように、柔い胸に顔をうずめて眠る日々だったようです。

毎日、朝食では隣にいた同僚が、夕食にはいない、亡くなったと聞かされる、明日は我が身かもしれない。そんな日々で眠るにはぬくもりが必要でした。

なにもしないのはひどいとせがまれたこともあるようですよ? かなりのイケメンでしたから、祖父は。

社長である祖父はつきあいで女性のいるお店に出入りすると大変もてたようです。祖母とは冷めていたので、家にまで女性が押しかけてきたり。

祖母はそういった女性にいつも主人がお世話になっていますと頭を下げて反物を持たせたりするような女性でした。隣でそんな格好するな、という牽制球ですね。

女性が帰宅したあと、家の中では茶碗や皿が飛び交うような激しい喧嘩が勃発。幼いおじと母は手に手をとって震えながら机の下に隠れ、長女であるおばが仲裁というような具合だったようです。

それでも女性を連れた祖父の肩を周りのみんなが持つのだから、祖母もぐれちゃう。実家からも説教される始末なのだから四面楚歌です。

冷えきった家庭は祖父が隠居し病に倒れたあと、離で祖父は生活し、工場のトイレを使い、祖母のいる家に足を踏み入れることは風呂だけという家庭内別居生活からも読み取れます。

私の母系をたどると二人の名古屋女性のおかげで家が存続していたのだということが見えてきます。

だから、名古屋に足を向けてはならないのだ、と。

足を向けて寝る気にはなれないのだ、と。

今、私は廣野家総領娘として、全くその通りだと実感しています。

祖父の話も結構面白いのですが、また後日、機会があれば。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?