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1年生 1人締め会
初めての本命入試の前日。当時通っていた塾で開催された決起集会に参加し、応援ムービーに涙したのがつい昨日のことのようだ。
あれからもう一年以上も経つのに、あの時に出会った人たちとの会話、
あそこでもらった応援の言葉は今でも鮮明に思い起こされる。
この日から精神を削られるような大学入試が本格化し、
最大限の弱音を周りに吐きながら(もう行けるとこに行けばいい、もうどこかは行けるじゃん、とか言ってたっけ。)、
「へー、中国で新しい病気が流行ってるんだねー」と他人事のように感じていたらみるみる日本もそんな状況になり、
大学に合格したものの入学式・オリエンテーション・基本的な前期対面授業の廃止が決まり、この一年一体どんな目新しいことがあるというのか(いや、ない)とそんな思いを胸に抱くようになっていた。
ここからもう一年。
今日から私は二年生になったみたいだ。
自己紹介でいまだに自分の学年を間違えそうだ。
今日も早速、学年入力欄に"1"と入れてしまい思わず笑ってしまった。
今年の進級は今までのどんなものよりも実感がない。
(もっと下級生したかった!下級生気分から抜け出せない!)
それでも時間は止まってくれないし戻ってもくれない。
大学に行けば期待と不安を抱えた新一年生がいるわけだし、自分自身もそろそろ来年以降のことを本格的に考えなくてはならない。
だから少しでも実感を沸かせるために、
勝手に”1年生1人締め会"を開催することにした。
良かったことも悪かったことも、いろいろ思い返して
ここからの一年に繋げられるように。
もちろんこの一年は予定通りじゃなかった
コロナで外に出れなくて、、、みたいなそういう嘆きではない。
むしろ個人的にはコロナだったからできたこと、出会えた人がたくさんいてそれはそれで運命だったのだと肯定的に捉えている部分がとても多い。
ただ、予定違いは予定違いだった。
入学時の私の予定では、
・まずサークルに入ってどこかの学生団体で意識高く動いて
・慣れてきたら長期インターンに行く
そんな形だったと思う。
それが
・長期インターンにいって
・いろいろ学ぶと共にいろんな苦しさを覚えて
・大学にいくのすら難しい時期ができてしまい
・これをきっかけにそれらとすっぱりお別れしてサークル活動に励む
となっている。
笑える。一般的な色々と順序が違う。
もともと長期インターンは2年生からしたかったんだけどな。
とはいえ、この予定違いは決してコロナのせいではない。
学生団体の新歓であまり私が団体のvisionに共感できなかったこと、
サークルに行くためだけに交通費を払う必要性を感じなかったこと、
そもそも対面で会える同級生がいなかったこと(エンカ怖いよ)、
大きくこの三つの理由で
"とりあえずインターン先にやるか"
そんな気持ちで動き始めていた。
好奇心は人を盲目的にさせてしまう
私はまだ大学に2年も通っていない。
でも、高校生の頃からビジコンを少しかじり全国にまで行ったこともあって、本物のビジネスに触れてみたいと思ってしまった。
それがインターンを始めたきっかけだ。
とはいえ関西に、そんな1年生を受け入れてくれるような場所は数少ない。
出会った場所は、とあるスタートアップ、これからどんどん事業を成長させ会社を成長させただひたすら成長を追うそんなところだった。
ここでは色々ありすぎた。全てが非日常的な体験だった。
ライター、学生インターンの採用人事、組織開発(これはほぼかじれていない)、ECの運営、codeの勉強、Instagram・Twitterの運用。
仕事としてあらゆることを経験した。
小さな成功や失敗をたくさん重ねた。それぞれの仕事をこなすのに何が必要で何が強くて(ツールや能力の話)、どんなフローで進めればいいのか大体わかった。
ある意味ここでの時間は濃密で、これを通して今の自分に足りないことをたくさん見つけることができ、新たな目標もでき補うべきことの優先度もついた。
またやっぱり長期インターンの主役は就活生なので、周りにいたたくさんの先輩方から私はちょっとした就活事情も早くから聞き知れた。
某有名企業に内定もらっていて、内定者インターンまでに何か学びたいと言って来ていた4年生もいて、そんな人からの話は割と面白かった。
(将来に対して狭くなっていた視野を再度広げ直すことができたと思う。)
ここでの学びは多かった。これからの挑戦に使えそうな手段もたくさん得た。
でもここはいい思い出よりなんとも心が曇るような思い出の方が
"思い出"としては多い場所だった。
いろいろ見てきた。潰れた就活生。陰口を言われる同僚。
依存度の強い人間関係の構築。金銭面に余裕のない環境。
それでもここがベストな環境だと言わんばかりの雰囲気だったし、
実際ベストだと思う。今、その組織にいない人間の視点でこれらのことを述べたが、決して悪口ではない。これがベストだったと私も納得している。
スタートアップで生き残り、尚且つvisionを叶えるには
・とんでもない速さで軌道修正・新しい道の敷設が必要なロードを耐え、visionの実現までその意思を貫き、
・その道のりにある誤差のような事件には目を瞑り(その目を瞑る行為そのものを無意識的に行い)、visionを実現と共に経済を回していくことこそ社会貢献とする
これを何の違和感もなく一つの文化として馴染む必要がある。
もう一度言う。この文化は正しい。
でも、その"正しさ"を受け入れられる人はやはり少ない。
私も受け入れられなかった側の人間の1人であったが、実際のところ離職率が高い時期もあった。
私は正しさを受け入れられない可能性に気づき始めても受け入れているフリをして、引くに引けない状況を作り出し(大事な仕事をたくさん持ってた)、最終的にやっぱり拒絶が起こって追放された。(追放はあくまでも空気感かな。退職を決めそれを表明したのは自分自身だから。)
今、あの組織に合わなかった人間として個人的に思うのは
①人としての元々のメンバーと空気感が合う
(もしくはもともと人との空気感をあまり感じずに論理的に人と接する)
②組織のvisionに感情的にも論理的に共感している
(興味関心とかではなく自分もそれ叶えないと死ねない、他のことできない!くらいのレベルで。)
③もともと組織にいる人間をリスペクトし心から信頼し、
その組織が自分がvisionを叶えるのに必要なリソースの揃った場所であると定義づけられる
この3点。これらを満たしていないとあの場所では生きていけない。
これから動くときはこの3点をしっかり考えてから動いていかないといけないと強く感じている。
長期インターン それはそれ
他人がやっている活動を聞くと、人は憧れと共に焦燥を抱きやすい。
特に相手と自分が同じフィールドで戦う場合、間違いなくこの現象が起きる。
でもそんな目先の情報で自分を殺してしまうのはナンセンスだ。
"長期インターンに行ったからすごい"とか"早くから動いているのがすごい"とかやっぱりそういうものではないと再度痛感した。
高校生の頃も私は校外活動積極的参加派の人間だったが、その時も別に活動に参加していなくても人を巻き込んだり何かを集中してやり続けたりする能力は自分より長けている人がたくさんいた。
大学生になってもやはりそれは変わらなかった。
"人は適材適所"
数年前、友人がそんなことを述べていた。
自分がどこに適していて、どんな動きをするのが自分の叶えたいことを叶えるための最短ルートなのかを認識するのは、他人に助けてもらいながら早期に見極めてそこを伸ばしていく。これもこれから自分が社会人になる前にやっておきたいことの一つだ。
日常のきっかけは意外に見落とされがち
さっき、
"長期インターンに行ったからすごい"とか"早くから動いているのがすごい"とかやっぱりそういうものではないと再度痛感した。
大学生になってもやはりそれは変わらなかった。
と書いていたが、それを一番感じたのは今所属しているサークルだ。
長期インターンが忙しくてサークルなど考える余裕もなかったが、ちょうど後期の授業が始まりしばらくした頃、組織文化の"正しさ"に違和感を感じ始め新たなコミュニティー(逃げ場)を探すようになっていた。
そんな時、対面授業で出会った友人からアカペラサークルの見学会に誘われた。
私自身幼い時からピアノを弾いていたこともあり音楽が大好きなので、とりあえず興味本位でついていってみた。
当初見学だけの予定がお試しみたいな形で数ヶ月活動させてもらえる機会を得れたので、これもまたとりあえず突っ込んでみた。
初めから練習は楽しかったし、サークルでの活動も人生で経験したことのないことだったのでそれをやっている自分に満足していた。
でも、
"やっぱりこんなことしている場合じゃないせめて今、目の前にある仕事の責任は果たさなくちゃいけない。それが嫌かどうかじゃなくて、やらなくちゃいけないことなのだから"
そんな思いが大きく自分の行動に罪悪感を感じ、その体験(2,3ヶ月だったかな)が終わったらサークルはそのまま抜けようと思って、しばらく参加していた。
そんな決意がくるっと180°変わったのは、やめようと決めていた期日から2週間ほど前のこと。その日もいつも通り週に一度の練習をしていた。
その練習中や練習後の先輩方の会話。
それに耳を傾けていた時に、"私に一番今欠けている、そして補いたいと思っている人間的な要素を持っている先輩方がそのサークルにたくさんいるのではないか?"
そう感じた。
そしてそれらを恐怖を覚えずに遠くからでもよく見て真似することができ、どうしても自分で補えないところは話して助言してもらうことさえもできそうな空気感があることも。
1週間後、その私の直感は確信に変わった。
・自分に足りないものを補うために一つの場所に固執する必要はない
・そしてそれを補えるきっかけは今まで見落としていた大学生らしい日常に
山ほど転がっている
そう思うと、違和感のある"正しさ"に固執する自分が馬鹿らしくなった。
それに固執していたのはなんだかんだ言いながらいつの日からか自分も”ガクチカ”にしがみついていたのかもしれないと思った。
自分の軸を曲げてまで非日常的な体験をするのは賢くない。
見落としていた目の前の日常にそのきっかけがあるのなら、
世間的にみて何の変哲のないキラキラ輝いていない大学生だとしても
今はそのままで、そのまま日常を最大化すればいい。
誰にもそんなことは言われていないけれど、先輩方の背中がそう語っているように感じ心が痛んだ。
人生最後の夏休み、とも言われる大学生活。
信念なく非日常を求める焦りは禁物だった。
環境を生かせるかどうかの一年
そこからインターンの退職までは割と一瞬だった。
やると決めた具体策を実行するのは割と早いのでいつも通りだ。
(具体策を決めるまでが遅いのがこれからの改善点...!)
本格的に活動しようと決めてからサークルの先輩方をより観察するようになった。上から目線みたいで何一つ直接言えたことはないが、すごいところがたくさん見える。
課題のコア部分を見つけるのが最強に早い人、アドバイスが的確すぎる人、脳内透視して私が次にする質問まで察知しているのかな?と疑うほどに求めているものをまとめて教えてくれる人、何事も要領よくこなしていく人。
とにかく仕事をできる先輩方がたくさんいる。
そして、
人の良いところすぐに言ってあげられる人、時に謙虚であることの大切さを教えてくれる人、思わず悩んでいることを言ってしまいそうなほど安心感を与えてくれる人、とにかくコミュニケーション力が高い人、いつも冷静な人、"大人"な人。
人としてこういう部分があるっていいなと世間の誰もが思いそうなことを、平然と言葉や態度で示している先輩方もたくさんいる。
もちろんアカペラサークルなので、
歌がうますぎる人、リズム感が良すぎる人、音感が良すぎる人、音はずさなすぎる人、元々の声質が良すぎる人、編曲がうますぎる人。
そんな先輩方はこんな先輩方でもある(笑)
"憧れ"がこんなにも揃っている環境で
自分がどこに適していて、どんな動きをするのが自分の叶えたいことを叶えるための最短ルートなのかを認識するのは、他人に助けてもらいながら早期に見極めてそこを伸ばしていく。
ここをどうしていくのか。
また1年後の1人締め会に向けて、トライアンドエラーを繰り返しながら
それでも前向きにやっていけたらなと思う。
1年生1人締め会
個人的には人生の中で二番目くらいに波乱だったこの一年だったが、何とか乗り切り新しい日常でやることもやりたいこともこの締め会で見えてきた。
そしてこの波乱の一年で学び次に生かせることをここにまとめたことで、自分の未来のために残せる一つのアドバイスブックを作れたような気さえする。
ここで思い描いた次の一年でやっていきたいことは、多分また半年以内に他のことに挑戦し続けるであろう(非日常を求めだすであろう)私にとって、どんな環境に行ってもやり続けていきたいことでもある。
1年後の締め会で絶望だけはしないように。
今ある幸せな日常を最大化して、これからも進んでいく。