底なしの劣等感に溺れる


歳を重ねるたびに、劣等感が募る。
小学生の頃は、足が速い友達。
中学生の頃は、モテる友達。
高校生の頃は、楽器ができる友達。
大学生の頃は、顔が可愛い友達。
そして今は、お金と安定した職がある人達。

いつだって私の隣の芝は鮮やかな青で、いつだって私はそれを羨み、自分の芝の色のなさに絶望する。

そして、劣等感というものは歳を重ねれば重ねるほどその残虐性を高めていく。
私が羨むものを持っている人たちは、それ相応の努力をしているということを知っているからだ。

顔が可愛いのは、手入れを怠っていないから。
スタイルがいいのは、スタイル維持のために努力しているから。
安定した職に就けたのは、就職活動を根気強く頑張ったから。
お金があるのは、無駄遣いをせずに貯金をしているから。

隣の芝が青いのは、しっかりと水をやり、雑草を取り除き、長さを調節し、しっかりと手入れをしているから。青くするための努力を怠らなかったからなのだ。

歳を重ね、その事実を知るたびに、私の劣等感は、後悔へと姿を変える。

いいな、あの人は。いいな、自分はまた、自分の努力不足に気づくんだな。
ああ、いいな。いいな。

私はいつまで、隣の芝を見続け、羨み、残虐な後悔に首を絞められるのだろう。

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