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これからは、何事も本氣が求められる

皆様、こんにちは😊
フルート奏者・作家の向(むこう)由佳でございます。
本日もご覧くださり、ありがとうございます。

本日は、「これからは、何事も本氣が求められる」というお話しを致します。

今朝、ご神事として私が折った折り紙の薬玉

今日の写真は折り紙の薬玉なのですが、今朝、私が折りました。何故、突然折り紙なのかというと、先日、私が会員になっているとあるインターネットのコミュニティで、深草秦氏の末裔の土御門兼嗣(つちみかど かねつぐ)さんが、折り紙の話をしていたんですね。簡略化してお伝えしますと「折り紙はご神事」というお話をなさっておられました。

そこで、私は検索をしまして、斎王と折り紙に関する書籍を見つけて早速注文したんですね。でも、その書籍が届くまで待てなくて、自分なりに「ご神事としての折り紙とはどういうことなのか?」を考えて、折り紙を折るときにできるだけ雑念を払い、祈りを込めて折りました。

それでできた薬玉が、今回の投稿の写真の薬玉です。
使用した折り紙は、美濃和紙のもの。ご神事に使う紙は和紙なので、和紙で折った方が良いのではないかと何となく思ったわけです。

美濃和紙の折り紙

ここまでの私の話を聞いて「この話と本氣ってどう関係しているの?」と仰る方がおられると思うのですが、関係があるのです。

私は幼少期の頃に折り紙が好きで色々なものを作ってきた背景があるのですが、大人になってからは、多くがこの薬玉を作ることが多くなりました。そこで、私が作った薬玉をご覧になって「私も作ってみたいから教えてほしい」と仰る方が出てくるわけです。それは悪いことではないのですが、その方に教えてみたところ、私の話を集中して聞いていなかったり、何度言われても理解ができないということが起きていたのですね。

折り紙というのは、集中力がないと折ることはできませんし、色々な能力が問われるものなので、基本ができていないと薬玉のような立体物を作るのは非常に難しいんですよね。なので、そのような方には基本の鶴を折るところから学んで行かれるのが良いと思うのですが、それも自主的にやろうとしないわけです。そして、数年経過しているにも関わらず、また「あの薬玉の折り方を教えて」と会ったときに言われるんですよね。そのような姿勢を拝見していると「本当にやる氣があるのかしら?」と思うわけです。

何故、そう思うのか。それは「本当にやる氣のある方は、自主的に調べて試行錯誤して自分なりに考える」から。もし、薬玉が難しいなら「折り紙の基本はどういうものなのかな?」と調べて、基本を自主的にやったりするんですよね。ですので、私は土御門さんが全てを話していない状況のなかで、ここまで駒を自分で進めているわけです。こういうところから、本氣の方とそうでない方の差が開いていく、というのはご理解いただけるのではないかと思います。

「趣味だから手を抜く」という方もいらっしゃるのは存じておりますが、先生が本氣で教えているなら、その本氣に応えないと失礼にあたると私は考えています。「お金を払っているならどういう態度でもいい」と考える方に対しては、折り紙に限らず、何か私の持っている技術などについて教えることはできないなと思います。

何故なら、本氣でない方に教えるのは時間の無駄だからです。
何度お伝えしても、やるべきことをやってこなかったり、主体的に学ぶ姿勢が見られないのであれば、有意義な時間を作ることはできません。そして、先生が時間を作ってくださって教えてくださるというのは「先生のお命を使ってくださっている」という意識を持つことが礼儀だと私は思うのです。「相手の時間=相手の命の時間」であるからこそ、先生に無駄な時間を作らせるのは失礼に当たると思うのです。

先生にお金を支払うのは、先生への敬意を表すということで大切な基本事項ですが、それに加えて、習っている時間は先生の命の時間を使っていただいていることを忘れないようにしましょう。

本氣で生きている人は、他人の悪口を言ったり、文句や愚痴を言うことがありません。そのようなことをするのが無駄だとわかっているからです。これからは、本氣で生きると決めて本氣で生きている人に光が当たる時代です。中途半端になっていることや、やりたくもないのにやっていることがあったり、最初はやりたいと思って始めたことでもやる氣がないのなら、私でしたら辞めますね。もう、そのような無駄な時間を過ごしている余裕はないのです。

必要な方に届きますように。

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