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祖母の思い出と、さざんか

95歳で亡くなった祖母を思い出した。

養蚕と農業を営んでいた母方の祖母は、私の記憶に沢山の思い出を残してくれた人だ。


背負子を背負った祖母が、カイコのための桑の葉を桑畑へ採りにゆく。

そこへ同行するのが、私は大好きだった。

祖母の家には、バラック小屋があり、そこには農作業に使う道具が収納してあった。

ネコが住みつき、子猫がニャアニャアいっていることもあった。

その2階には、カイコがびっしりと乗った台のようなものがいくつもあった。

採ってきた桑の葉を、カイコのいる台へ、ばさりとダイナミックに「撒く」(幼い私には、そのように見えた)。

すると、シーンとしたバラック小屋に、カイコたちが桑の葉を一心に食べる、ワシャワシャという音が響き渡る。

カイコは元気に生きていて、食欲旺盛で、ムシャムシャ、ムシャムシャと桑の葉を食べている。

その音を聞いていると、何だか無性に嬉しく、暖かい気持ちになったのが記憶に残っている。

祖母はよく、カイコを手に乗せて、愛おしそうにその背を撫でていた。

私も、撫でさせてもらった。

シルクを産み出すカイコは、まるで白粉をはたいたようにスベスベで、真っ白で、生きているのを感じさせる重みが確かにあった。

カイコの他にもう一つ、祖母との思い出で強く残っているものがある。

祖母の家の庭には、立派なサザンカの木があった。

祖母は花が好きで、庭にいろいろな花や木を植えていたが、綺麗な赤い花をつけるサザンカは、特にお気に入りだったようだ。

そのサザンカの、まだかたい蕾が、子供の頃の私を強く惹きつけた。

かたい蕾を、そっとむしる。

緑色を剥がすと、中にはサザンカの花びらがぎっしり隠れている。

一枚、一枚、その質感を感じながら花びらをむしる。

全てむしりきり、花びらを並べて、その香り、濃い鮮やかな色を堪能し、私は満足する。

祖母には、何度も叱られた。

開花を楽しみにしているのに、その蕾をむしられては、怒るのも当然だろう。

叱られて、悪いことだと理解しつつ、やめられない魅力が、サザンカのかたい蕾にはあったのだ。

サザンカを見ると、そんな出来事がふと思い出される。

今日も一日見守ってくれて、ありがとう、おばあちゃん。

お香と共に、祖母にご挨拶。

おやすみなさい。


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