新元号発表。令和が願う、みんなの人生謳歌を。
新元号が発表されました。万葉集からとった元号ということで、そのくだりだけでも「あら素敵!」とテンションがあがり、現代語訳を読んであまりの叙情にさらにテンションがぶち上がりました!平成に生まれた新語をここであえて当てがいたいと思います。どエモい。
現代語訳についてはありがたいことに、こちらの城田京子さんのnoteでいち早くチェックさせていただきました。
(こんな時にさっと、原文、書き下し文、現代語訳を載せてくださる方がいるのはありがたいとともに、その教養の高さにおそれいります!)
昭和生まれの私ですが、昭和も終わり方の60年に生まれたので、意識を持って生きてきたのは平成の時代です。
さて、平成がどんな時代だったかというと、体感で比較できるものがないので的確なことは言えませんが、昭和と違って大きな戦争はなく、平和だけど景気が悪かったり、悲しい災害が起きたり、「持つ者・持たざる者」の格差が拡大しつつあって「社会全体」っていう言葉を使うには汲み取れないぐらいの多様性が良くも悪くも生まれた時代だったように感じます。
特に「多様性」に関していうと、まだみんながお互いを認識し始めていても認めあったり、助け合ったりという次元には全く到達できてなくて、これから先、自分がかろうじて何かを「持つ側」になったとしても、社会全体は幸せなんだろうかと未来には漠然とした不安しか感じることができませんでした。
さて、令和の出典となった万葉集の梅の花の歌32首の序文を見てみると
初春の美しい月、澄んだ空と穏やかな風の夜。梅が咲き、良い香りがあたりに漂っている。山にかかる朝焼けの雲。その雲をまとった山の松。立ち込めた霧の間を飛ぶ鳥。庭には羽化したばかりの蝶が飛んでいて、去年の雁は山へ帰って行く。
遠くを見ても近くを見ても美しい景色です。なんなら何も見えなくてもよい。空が澄んでいることと風が穏やかなことは、きっと目をつぶれば頬に感じることができる。
この美しい天と地に集った皆で、趣くままに穏やかに過ごしている。さて、どうやってこの情景を言葉にしたらいいのだ。
言葉に言い表せないぐらいに心地が良い、って考えただけで「わぁぁぁ(エモい〜)」ってなりますね。想像しただけで幸せです。
それではここで梅の歌を読んでみようじゃないか
といって、梅の歌が32首紹介されていくのって、本当にワクワクが止まらない素敵な序文だなと思います。
未来が漠然とした不安に満ちている、なんて思ったりもするけど、新しい時代がこの序文みたいに平和で穏やかな時代になったらいいなと思います。なんて、月並みすぎる言葉ですが、この序文から受けたイメージを持ってあえてこのように言う!
そして、この宴席に集まる「皆」が本当に多種多様な色々な人たちであってほしい。みんなが穏やかに幸せに過ごせる「令和」となりますように!