「どの口が言うか」に縛られたくない
1、オヤマダ(45)さんの記事より
note編集部のオススメ記事を眺めていたら、ハッとする記事と出会いました。
▼『日本人は大して音楽が好きではないのかもしれない』
(オヤマダ(45))
▼猛烈にハッとさせられたところ。
日本と海外の音楽の聴き方の差異はかなり頻繁に、そしてかなり大勢の人によって論じられて来たわけだけど、まずはここなんです。大して音楽好きじゃないってところ(笑)音楽そのものを楽しむというより、自分の感情に結びつけたり、二次的な欲求の手段として音楽を聴いている。つまり音楽が目的ではなく、手段と化してしまってる訳です。
この箇所、恐らくそれは音楽だけに限られたことではないのかも、と思います。
2、日本人が好きなモネとゴッホ
例えば、日本人はモネが大好きで、「睡蓮を描いた人」っていうことで有名だと思います。
▼国立西洋美術館(上野)のモネ「睡蓮」の紹介ページ
モネは自宅に池をつくり、何枚も何枚もひたすら睡蓮を描きました。
そこに、日本人はモネは印象絵画表現そのものの探求者というより、「ひたすら睡蓮を描くこと」にこだわり抜いた画家という見方をしているんじゃないかと感じます。
印象絵画表現って何?って考えるよりも、「ひとつのことにこだわってこだわりぬいた人なんだよ(しかも晩年視力も衰えていたよ)」と考える方が分かりやすくて感動できるので、まさにオヤマダ(45)さんが指摘している手段化としての絵画(モネ)鑑賞ということになるのではないでしょうか。
それと同列に語れるのはゴッホですね。
▼損保ジャパン日本興亜美術館の「ひまわり」紹介ページ
日本人が好きな画家といえばゴッホ。
終焉の地となったオヴェール・シュル・オワーズ出身のフランス人の友人曰く、「日本人を乗せた観光バスがいつもたくさんいたよ」とのことだったので、日本人のゴッホへ憧憬は国内の美術展だけにとどまらないようです。
ゴッホは人づきあいが下手で、画家を志したのも遅かったため生涯で売れた絵は1枚のみ(諸説あり)。死後その価値が認められた画家でした。
うがった見方をするつもりはありませんが、日本人は苦労話が好きな傾向にあるので「ゴッホはすごく苦労した画家。生きている間は絵が売れず、死んでから認められるなんて…。そんな彼の描くひまわりはなんて美しいんだろう!」みたいな、ゴッホの絵画を通して苦労&美談をみることが好きなのかなーと思います。(別に悪いことじゃないよ)
3、そしてそれはクラシックにもみられる傾向
大きな声じゃ言えませんが、私はベートヴェンの「交響曲第9番」があまり好きではありません。(理由はいろいろ)
▼母校の演奏を発見
そういうとどこからともなく「耳がほとんど聴こえなくなったベートーヴェンが晩年につくり、シラーの人類愛をうたった壮大な詩に寄せて書いたあの名曲を好きじゃないなんてお前本当にクラシック好きなのかよ!(しかも声楽専攻じゃないか)」との声がきこえてきそうですが、ベートヴェンに関しての「音楽の手段化」はまさにそこです。
日本人が(もしかしたら世界中がそうかもしれないけど)ベートーヴェンを聴くうえで一番最初に意識するところが「耳が聴こえなかった音楽家」ってとこだと思ってます。
でもそれはベートーヴェンの音楽の本質(対位法を究めたとか、ロマン派への先駆けとなる最後のピアノソナタの涙を禁じ得ない美しさとかあるんすよ)ではなくて、こちらもまた音楽の向こう側にある楽聖の苦悩を感じようとする「音楽を聴くことが感情や欲求への手段化」になってしまっている例なのではないでしょうか。
4、「どの口が言うか」に縛られたくない
(日本語ラップのパンチラインを引用することでヘッズ感を出そうとするわたし…)
当時美大生だった女の子が、紫煙をくゆらせながら遠い目をして言った言葉が思い出されます。
「結局今って作品そのものがどうかってことよりも、コンセプト設定とかプレゼン能力に長けてる人の作品が評価されるんですよね」
音楽や、絵画って専門的に勉強していないとどうしても見えてこない部分があります。本当はただ感じればいいんだと思うのですが、対象物がピンとこない時、優しい鑑賞者は作品の奥のバックグラウンドを感動への手がかりとしている気がします。でもそれって「感動する」ってことじゃなくて「理解する」っていう方向にベクトルが傾いてしまっているのではないでしょうか。
かくいう私も、最近聴きだした日本語ラップを聴くときはラッパーのバックグラウンドを調べたりして(HIP HOPの場合は「レペゼン」ーー`REPRESENT`出身地の意。生い立ちと言う意味も内包しているーーという要素があるので、時としてそのようなナレッジも大事なのですが)、音楽そのものを楽しんでいると言い切れないなと自分でも感じています。
美術鑑賞についていうなら、私はモディリアーニが好きなんですが、観るたびに頭のどこかに彼の恵まれない境遇や、モデルとなった妻の悲しい最期のことを考えてついつい涙ぐんでしまいます。
でもやっぱりこういう音楽の聴き方や、絵の見方には限界があります。
海外のHIP HOPミュージシャンの生い立ちを調べるのは大変だし、それを知らないと名盤の良さが分からない、なんてことになったら「なんだよそれ」って感じですよね。
絵画においても、あらゆる人たちに語り尽くされている故人の作品じゃないと感動できないなら、生きてる作家に感動できなくなっちゃう。それはなんだか残念。
「作品に感動したから、バックグラウンドまで知りたくなって調べてみる」っていうコースについてはこのまま続けていきたいと思いますが、「よく知らない人だから敬遠して、興味も持たないし、好きにもならない」っていうことが自分の中でより少なくなることを願いたいと思いました。
そんな訳で、なんの予備知識もなくこれから「ナンバーガール」を聴いてみたいと思います。(復活が大注目されてるけど、いやはや、全く知らなかったんだよね…)
おしまい。
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