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角砂糖ひとつ (京都 六曜社)

喫茶店がすきだ。
煙草と珈琲の匂いが、壁やソファや床にまで染み付いているような、正しい喫茶店がすきだ。
馴染みのおじさんが、ひとりで珈琲を啜りながら、スポーツ新聞を広げているような、渋い喫茶店がすきだ。
雨の日も晴れの日もなんだか薄暗くて、開店した時から時間が止まっているような、古い喫茶店がすきだ。

京都三条にある「六曜社」も、そんな老舗喫茶店のひとつ。
ときどき、あの懐かしい空間に浸りたくなって、ふらっと立ち寄る大好きな場所。

六曜社の珈琲は、ソーサーの上に置かれたスプーンにふたつ並んだ、真っ白な角砂糖と一緒に運ばれてくる。
熱々の珈琲をまずはひとくち、ブラックで。
正直なところ、わたしの鈍感な舌では利き珈琲など出来ないので、「苦いけど飲みやすくて美味しい」くらいの感想しか言えないのだけれど、現実から一歩遠のいた場所で、カップとソーサーが触れ合う音や、周りの話し声を聞きながら、一杯の珈琲を味わう時間は特別だ。

三分の一くらい飲んだところで、角砂糖をひとつ落とす。真っ白だった四角いかたまりは、じわりと茶色く染まり崩れていく。カップの底に残ってしまわないように、スプーンでくるくる掻き混ぜながら、四角い磨りガラスの照明が、なんだか角砂糖とそっくりだなあ。なんて、ぼんやり店内を見渡す。
甘い珈琲をほんのひと口ずつ、ちびちび飲む。
じゅうぶん甘いので、角砂糖を入れるときは、いつもひとつだけ。
すっかり冷めてしまった最後のひとくちを胃に流し込んでしまうと、煙草を吸わないわたしはなんだか手持ち無沙汰で、お会計をして店を出た。

一歩外に出ると、そこは河原町の大通り。
50年くらいタイムスリップしてしまったような気分で、人混みの横断歩道を渡る。
コートに纏った苦い匂いと、ぼんやりとした思案が消えないように、ゆっくりゆっくり歩いて帰る。


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