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丹波篠山で憧れと緊張の対面〜民藝旅 序章①〜

松本民芸館を訪れてから約半月後、丹波篠山を訪れることにした。
当初、丹波篠山を訪れる予定はなかったけれど、近場で行ける場所を考えていたとき、丹波篠山を思い出した。
民藝のさんちでもあり、ずっと行ってみたいと思っていた場所だ。


当日、京都でレンタカーを借り、いざ出発!
運転になれていない私にとっては、京都市内の運転は難易度が高く、市内を抜けるのに時間がかかってしまった。
「もうすでに帰りたい、丹波篠山に着くことは不可能かも。。。」とげっそりだった。
そんなわたしでも1時間ほどロスしてしまったけれど、なんとかたどり着けた。

丹波篠山に着くと山の緑がすごくキレイで、自然豊かで景色が素晴らしかった。
休憩がてらに訪れたマグナムコーヒーさん。

バイクの方や常連さんが多い旅の寄り道的な場所だった。お店の方もすごくいい人で、店内や外のテラスの席もオープンな雰囲気で気持ちよくて快適だった。テラス席で自然の中いただくコーヒーは最高だったからまた行きたい。

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そして、そこからさらに車で約30分移動して、窯元が並ぶ地区へ。
道路沿いに窯元のお店が見えてくるとテンションが上がってきた。

車を停めて外を歩くと、とにかく山と川と空と、景色がすばらしすぎて本当に気持ちがよかった。

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少し坂を登ると狭い場所に窯元の工房や古い家々が立ち並び、歩いているだけでも楽しい。

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最初に見てみたかった、登窯に到着。

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ちょうど窯の入り口から火を炊いているところで、登窯を使っているところは初めて見た。年に一回火を炊く期間があるらしく、偶然見れたことに感謝だ。

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登窯を見ていると、案内人のスタッフの方が47mもの登窯を一周しながら説明してくれた。登窯の使い方とか詳しいことは知らなかったのでありがたい。


登窯はもともと朝鮮半島から入ってきて、それまでの主流は穴窯だった。煙突みたいな仕組みになっていて、一番下の穴で火を炊き、一番上のハチの巣のような穴から煙が抜けていく。連なる窯では横から薪を入れ、反対側からうつわを入れる。なんと一般の人も作ったものをここで焼いてもらうこともできるそうだ。

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7年前までは阪神大震災の影響で崩れてしまった窯もいろんな方の協力で再築されたとのこと。その方々の名前が書かれた木札が窯の屋根にきれいに飾られていた。今では県の指定重要文化財になっている。

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丹波立杭焼は現在、約60ほどの窯元があるけれど、10年後には後継者不足で半分にもなってしまうとのこと。
工芸や伝統の世界で必ずといっていいほど聞く話、歯がゆい気持ちになる。
自分にはいったい何ができるのか、毎回自問自答だ。

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その後、一番訪れてみたかった「俊彦窯」へ。
民藝の本や雑誌で見かけてから気になっていて、河井寛次郎の孫弟子でもある、清水俊彦さんはどんな人なのか会ってみたい。

急な斜面を登りつつ、「どこだどこだ?」ときょろきょろしていると、「俊彦窯」の看板が掲げられた家を発見!
何気なくお店の中に入ってみると、ずらりと並んだ作品の数々。美しくてほれぼれ…
人の気配は無く、しんと静かだった。

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しばらくすると、中から「いらっしゃいませ〜」とかぼそい声が聞こえてきた。
「まさか?!」と思ったら、中から憧れの俊彦さんが現れ、「うわーーー本物だーーー!!」と内心かなり舞い上がってプチパニック状態だった。
「もっと話したい!」という欲求と恥ずかしさと緊張が入り乱れ、なかなかうまく話せない。自分の不甲斐なさに大いに落ち込みながらも、このチャンスを逃してはならぬ、とがんばって話しかけた。

「工房を見せていただくことはできますか?」
「いいですよ」

俊彦さんはすぐ隣の工房へ歩いていった。「ついていけばいいのかな?」とついて入っていくと、いきなりのツバメのお出迎えにびっくり!
工房内ではツバメが3匹飛び回っており、巣があった。
ツバメは朝4時に起きるらしく、外に出れるようにと出入り口のガラス戸の上端を少し切って出入りできるようにしたという話も聞いて、ほっこりした。


初めての衝撃的な工房見学に度肝を抜かされたけど、こうやってツバメのことを考え、ツバメと一緒に暮らしているやさしい俊彦さんのお人柄にも心がきゅんとなった。

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俊彦さんは10年前に病気をされてから、以前みたいに仕事ができなくなったとおっしゃっていたけれど、それでも今でもすばらしい作品の数々を作られているから改めてすごい方なんだなと思った。

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工房には、ろくろを回して形づくられたもの、素焼きされたものなどたくさんのうつわが並べられていた。


奥の窯のお部屋も見せていただき、そこには電気窯や登窯があった。

丹波焼は昔はすり鉢など大きいものしか作られていなかったけど、食器を作るために登窯を作ったとか。釉薬を使い始めたのも戦後からで、それまでは素焼きのようなものが主流だったことを聞いて、丹波焼の意外な歴史を知った。

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ツバメの話をしてくれたり、奥の窯も見せてくれたり、道具の数々を説明してくれたり、嫌な顔一つせず質問にも答えてくれて、本当に素敵な方だった。

最後に、お店で見ていてピンときた、「しのぎ」のうつわをいただき店をあとにした。

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胸いっぱいの気持ちと同時に、民藝についてのお話を聞けばよかった…と後悔。
会いたい人がいる時、想いを伝えることの大切さや感謝の気持ちを大切にしたいと勉強になることもたくさんあった。

それでも、やっぱり会いたい人には会いたいと思ったとき会いに行かなきゃと思った。

丹波焼について、詳しくはこちら↓






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