寂しくて孤独な夜に包まれてる自分に向けて。
どうしよもないほど孤独でちっぽけで寂しくて、
そんな夜が時たま訪れる。
「自立」は依存先を増やすことなんていうけど、たしかにその通りだと私は思う。
私は側から見たら「自立」していて、しっかりしてて、落ち着いてるように見えてるんだろう。
でも実際は、本当に弱くて孤独で寂しくて、そんな自分を受け入れてくれる誰かを、どこかを常に探してる。
傷つきそうになったら距離を置いて自分を守る。
そしてまた新たな依存先を探しにいく。
他の人が自分に隠してる顔を知って傷つくことが怖い。そう思ってたけど実際は、この弱くて孤独で寂しい自分を知られることが怖かったんだ。
そんな弱い自分も丸ごと受け止めてくれる仲間ができた。会ったことがなくても、連絡を密に取らなくてもどこかで支えてくれている気がする。
「私のことをもっと知ってほしい」「孤独から救ってほしい」「1人じゃないんだって思わせてほしい」
たくさんの願いを抱えてるのに、近づいてきたら離れてしまう。
この人に自分をさらけだしていいのだろうか。
いつもそうやって相手を見極めてる。
どれだけの時間を共に過ごしても、私のこと何も知らないんだな。何も知ろうとしてないんだな。
そう感じたら、どんどん相手を突き放してしまう。
知ってほしいのに、知られたくない。
あのね、自分のことを100%理解してくれる人はいないんだよ。私も相手のことを100%理解することなんてできないんだから。だからこそ、自分からもっと理解してもらえるように努力しなきゃ。
私は思ってるより強くないんだよ。
だから周りの人にもっと頼ろうよ。
弱い自分をさらけ出してもいいんだよ。
受け入れてくれる人がいるってことを体感したからこその言葉。
そう声をかけても、やっぱりどこかで怖くて震えてる自分がいる。
全ての人に弱くて孤独で寂しい自分をさらけ出す必要はない。誰だって強そうに見えてる人の前では素直になれない。私だってそうだ。強そうな人の前だと、強くなきゃ…期待に応えなきゃ…ついていかなきゃ…って思う。
その感覚を知ってるからこそ、私は強く見せない自分でありたい。
自分の心を取り繕って必死に弱さがバレないようにしているこの何枚重ねもの上着を、少しずつ脱いでいけるようになっていこうじゃないか。
ゆっくり、ゆっくりでいいんだ。
いつか、自分の中に沢山のお花が咲く春がやってくるだろう。その時に向けて、少しずつ少しずつ、準備していこう。そしたら、怖くて震えてる自分とも仲良くお花見できる時が来るかもしれない。
どうしよもないほど孤独な夜だって、ずっと続くわけじゃない。たまに訪れるくらいなら、とことん楽しんじゃおう。孤独でちっぽけで寂しい自分と朝まで語り明かそうじゃないか。
とことん話した後で、周りに目を向けよう。
丸ごと受け止めてくれる人がいるじゃないか。
沢山の人に依存してたっていいじゃん。
みんな1人じゃ生きていけないんだよ。
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