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辛い感情を手放して、20年間育ててくれた家族に感謝したい

2021年、私は成人になった。
年齢的にはまだ19歳ではあるけど、20年間育ててくれた家族には本当に心から感謝したい。
そんな家族との関係で、私は心の奥底に閉ざして鍵をかけてしまっていた感情があった。

夏頃から参加したCforCのプログラム、進んでいく大学の社会福祉の勉強。
その中で自分に向き合う機会を何度も頂いた。
その過程で少しずつ、扉が開いてきた。
そのことについて、自分から手放す気持ちでこのnoteに書きたいなと思う。

◇◇◇

自分自身に向き合って、わかったこと。
それは、ほとんどの行動が"嫌われないように"という願いに動かされていることだ。

根っことなっているのは家族との関係。

私の生まれた時の家族構成は、父、母、兄、姉、私の5人家族である。一見普通の家庭だ。
といっても、こんなに簡単にまとめられるものではない。
兄弟とは父親がちがう。だから、私は兄弟と年齢が10歳ほどはなれている。
そして、私の父と母は籍を入れていない。
簡単に図にするとこんな感じ。

父ー(離婚)ー母ー(事実婚)ー父
   |     |
  兄 姉    私

私は両親からこの家族構成について直接話を聞いたことはない。
雰囲気で感じ取ったり、話の端々からの情報を繋ぎ合わせて正解にたどり着いた。

・父とその他4人は苗字が違う。
・兄と姉は私の父のことを「お父さん」とは呼ばない。
・年末年始に私の父のおばあちゃんの家に行くのは、父と母と私の3人。
・小学生の時の家族構成を書く際に母は、母子家庭のように書いていた。
・家族5人での写真は極端に少ない。


思い出せるだけだとこのくらいだけど、多分もっと感じていた違和感があったと思う。
成長するにつれて、その違和感も大きくなっていった。違和感が大きくなると同時に、不安も大きくなっていった。


今考えると、兄弟と私の父の間には大きな溝があった。どれだけ思い出しても、2人で話しているのを見た記憶がない。兄弟がいる時は、心から楽しそうにしている父の姿を見ることはあまりなかったんじゃないかなと思う。
だから、父が辛そうだな、すごく気遣ってるなと感じることが頻繁にあった。
父のその姿を見て、気持ちを感じとって、
「お父さん、もしかしたら
帰って来なくなっちゃうんじゃないか」
っていう不安を大きく感じていた。

私が嫌われなかったら、ずっと好きでいてもらうことができたら、お父さんもいなくならないんじゃないか。
そう思った。
私がみんなから愛されて、好かれていたら家族がバラバラになることもない。だから、私は嫌われちゃダメだ。嫌われないようにいい子でいて、家族を繋ぎ止めなきゃいけない。
そう思いこんでた。
家族のことが好きだからこそ、ずっと一緒にいたいからこそ、1人で感じ取って、1人で考えて、1人で抱え込んでいた。


だから、もちろん怒られるようなことはしないように心がけてたし、大きな問題を起こしたことはなかった。
否定されるのが、嫌われるのが怖くて、自分が心から思っている感情を素直に表現するのが苦手になった。
心が揺さぶられるほどの感情を感じた時に自分の気持ちを表現しようとすると、先に涙が出てきてしまうようになった。
悲しい時や怒りたい時はもちろん、楽しい時も楽しいと感じてるのは自分だけじゃないか、周りの様子も確認するようになった。

家庭は決して裕福だったわけじゃなく、割とギリギリの生活をしていた。だから、ランドセルも制服も裁縫セットも兄弟のお下がりだった。
新しく自分のものが欲しいと思っていても、言い出せなかった。

そうするのが当たり前になっていって、家族といる時はもちろん、友達といる時もそうするようになった。だから、心から安心して自分自身を表現できる場所がなかった。
自分が本当の感情を素直に表現できないからこそ、友達とも上辺だけのような感覚がしてた。
相手は心から信頼して色々話してくれるけど、私は心底にある感情を一滴混ぜた上部だけの感情で付き合っているような感覚がして、私は人を信頼できないんじゃないかって感じていた。

友達は本当に大好きだったし、遊ぶのも楽しかった。小4でバスケを始めて、練習もみんなと一緒にプレーするのも楽しかった。
だけど、小中高の部活でも色々あって(これはまた書く)、人を信頼するのが怖くなった。
それは「裏切られる=嫌われる」だと感じて、裏切られるんだったら信頼しないほうがいいんじゃないかな。
そう感じていたんだと思う。

嫌われる前に自分から距離を置いて、自分が傷つかないように守った。
信頼できずに、何度も人を傷つけた。


"嫌われないように"という願いで無意識に自分自身を縛り付けて、自分を押し殺してきた。
押し殺していたこの感情を思い出した時に、本当に涙が止まらなかった。
当時の自分を抱きしめて「しんどかったね。」
そう伝えたくなった。
それと同時に、今の自分にも「頑張ったね。」
そう伝えた。

しんどかったって感じる家族との記憶ばかり書いたけど、この感情と経験があるからこそ今の自分がある。
どちらかと言うと、ここからくる長所の方が多い。
だから感謝できるというわけではないが、もしトラウマとか好きになれない短所があったら受け止められたのかなとは少し不安に思う。
過去にあった現実は変えられないけど、
過去に対する考え方は変えられる。

だからこそ私は、この過去をポジティブに捉えていきたい。

"嫌われたくない"
という思いをうまく手放して、仲良く付き合っていけるようになれたらいいな。

◇◇◇

産んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
沢山のことを教えてくれてありがとう。
色んな場所に連れてってくれてありがとう。
好きなことをさせてくれてありがとう。

家族には数え切れないほどのありがとうがある。
父にも母にも兄にも姉にもそれぞれ、我慢して、しんどかった、苦しかったことがあると思う。
それでも、優しく接してくれて、育ててくれた。
直接伝えるのは少し恥ずかしくて、まだ伝えられていないけど、心からありがとうって思うことができたら、自然と伝えるのも恥ずかしくなくなるのかな。

当たり前は当たり前じゃないってことを思い知らされた2020年。
きちんと親孝行をして、感謝を伝えられる時に伝えていきたいな。

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約半年後の続きのお話し

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