大嵐の後の歓喜の嵐!2019年10月13日横浜
2019年9月。
当時横浜在住だった上の弟から電話がかかってきました。
「ワールドカップ日本vsスコットランド戦見に行かない?チケットあるけど」
「行く行く行くーーーーー!!!」
聞けば、横浜市民に販売されたチケットで、奥さんと行くはずだったけど、彼女が仕事の都合で行けなくなって、でもせっかくだから友達じゃなくて家族と行きたい、と。
ということで私に声をかけてくれたということでした。
弟GJ!
というわけで、着々と準備を進めていました。
弟は当時単身赴任だったので、なにか食べるものをと、さんまのアヒージョとか、ちょっとしたお惣菜、それに日本代表戦には必ず持っていくお赤飯を炊いて、と段取りしていました。
もうすっかりお忘れの方が多いとおもいます。
台風が東日本を直撃しました。
当日朝新幹線で横浜に向かう予定でした。
12日の夜、関東直撃。
13日は新幹線が通常運行するかどうか不明。
このとき、勝ち点の関係で試合がなければ日本がベスト8入り。
それに対してスコットランド側が強く反発していましたよね。
そんな大事なゲームでした。
「もうアカンな、諦めて誰か近くの人と行くように電話するわ」
「そこで諦めたら試合終了やで!夜行バスで行き!!」
と、娘たちが横浜行きの夜行バスを検索。
「あった!これで行き!試合がなかったら観光して帰ったらええやん。行かないで試合があったらめちゃ後悔するで!!」
というわけで夜行バスの車中の人となりました。
京都を出る時点ではまだマシでした。
ココから夜行バス地獄行きの旅が始まりました。
京都から関東までは、新名神(三重県経由)で行きます。
三重県内はほぼ高架橋。
山々の中をぶっ飛ばします、普段は。
もうね、風がすごくて。
車高の高いバスの揺れること揺れること!
窓を打ち付ける激しい雨
揺さぶられる座席
「あ、私、ここで転落して死ぬんや」
と観念しました。
消灯していたので、遺書を書くことはできません。
もちろん、スマホも使用禁止。
でも、いざ転落したら家族にすぐ繋がるように、電話の準備はこっそりしました。
ドライバーさんも必死でハンドル握ってはるんやろな、というのが伝わる最前列の座席。
ただでさえ不慣れで寝られない夜行バスに嵐が加わり、私の人生でもワースト3に入るくらいの一夜となりました。
なが〜いなが〜い静岡県を通過。
もちろん富士山なんか見えないし、相変わらずの激しい雨。
流石に高架橋ほどの揺れはないけれど、風で揺れるのは変わらない。
高速を降りて横浜市内。
雨がめちゃ強い。
もうこれ、ラグビー無理やん。
いくらドームでも、会場近辺の警備もあるし‥あと、これじゃ観光どころじゃないよね。
そして、横浜駅バス停着。
着いたはいいけれど、ただのバス停。
ターミナルでもなんでもないただのバス停。
屋根なしの。
暴風雨の中、降ろされたバス停。
傘をさせないほどの暴風。
駅構内にどうやって入るのかすらわからず、人に聞こうにと誰もが歩いていない。
地図アプリ見ても、一体どこなんここ?!
から、ようやく駅構内に入り、とりあえず朝ごはんでもと思ったら、どこも臨時休業😞
仕方なしに弟に電話。
「予定よりかなり早くそちらに着くけどいい?」
もう、みんなほめてよ、こんな嵐の中をびしょ濡れになりながらお惣菜届けに行く姉を!!!
弟曰く、試合は出来るらしい。会場周辺は水害に強い作りになっているとか。
この弟、横浜赴任が決まった時、ラグビーワールドカップ日本大会で日産スタジアムが会場となることが分かっていたので、どうかすると歩いていける距離のところにマンションを借りたというヤツ。
そして地元のラグビー協会とも接点があったり、当時のJAPANのスタッフさんともやり取りがあったりした関係で、当日、会場近くで開催されたスコットランド関係の方々との交流会にも呼ばれていました。
で、弟のアパートで仮眠をとった私も何故かパーティに参加、持参のアザミの手ぬぐいをプレゼントしたり。
(一応レセプション用のワンピと靴も用意してました)
このときまでにすっかり雨は上がり、絶好のラグビー日和(ドームやけど)。
釜石でのゲームが早々に中止となったのは本当にお気の毒でした。
そして、会場着。
スコットランドサポーターさんのバグパイプがワールドカップらしさを醸し出してました。
ただね、ハイネケンばかりなの。
私はコーヒーが飲みたいの!!
当時、テロ防止のため、手荷物検査が厳しくて(会場による)、入場にかなり時間がかかったのも懐かしい思い出。
弟は、会社のラグビー仲間と会ってくるので、あとからやってくる段取り。
一人で、初めてのスタジアム。
人いっぱい。
ようやくたどり着いたのは、めちゃ急勾配のほぼ最上階くらいの上の方の席でした。
人生初づくしの1日。
今度はスコットランドナショナルアンセム合唱。
スコットランドサポーターだけでなく、いろいろな国のサポーターさんがいらして、ワールドカップならではの雰囲気は最高!
最上階に近い、選手は米粒大な席だったけれど、ゴール裏だったので、稲垣選手の渾身のトライをこの目で見ることが出来ました!!
私の前の席のおじさまグループが、稲垣ガチ勢で、このとき
「いながきー!!いながきーー!!
いながきーー」と大声で抱き合って泣いていたのが今もありありと思い出されます。
ほんま、あれはたまらんかった。
そして、やってくるあの瞬間!!
モニター画面の時計を見ながらカウントダウン。
そして、2019年最高視聴率の瞬間!!
周りの人々とハイタッチしまくり!
後半はなかなか点が取れずヒヤヒヤしたけれど、日本が初のベスト8進出を決めたゲームを見ることができて本当に幸せでした。
会場を出てもすれ違うサポーターさんと「ナイスゲーム」と挨拶を交わし。
弟が長崎に赴任していた時のラグビースクールの方とパブで打ち上げ。
長崎はスコットランドチームのキャンプ地だったので、スコットランドの試合はすべて観戦してらしたそうです。
いろんな裏話、そして隣の席の桜のジャージのイングランドの方とのおしゃべりとか。
普段ほとんど外食しないし、ましてお酒飲みに行くことはないので、30年ぶりくらいの大人の時間でした(といっても、私はノンアル)。
前夜、あんな怖い思いをしただけのことはある、とても嬉し楽し、そして大コーフンの一夜となりました。
弟のマンションに帰っても、録画していたJスポーツを見たりして(弟の同会社の人たちがしっかり映ってました)、眠れない夜アゲイン!
その弟、この日から1年半後、この部屋で大動脈解離で倒れ救急搬送されました。
その後、このマンションに戻ることなく自宅のある福岡に転勤、18ヶ月自宅療養となりました。
Googleのフォトアルバムの通知で、「5年前の思い出」として弟がパスタを作ってくれた画像が出てきて思い出したというわけです。
ちなみに、弟は奇跡の復活を果たし、昨年のW杯フランス大会には、教え子の応援旗を持って夫婦で渡仏しました。
今月もオールブラックス戦を夫婦で観戦予定なんだそうです。
私も抗がん剤に負けず、手術もクリアして、その後の治療も乗り越えて、ラグビー観戦を心から楽しめるようになります!!
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