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運命?偶然?私が生まれ変わる日

突然決まった手術日(だって年明けってゆーてはったやん!)。

実は12月26日は私にとって特別な日。

11月12日に生まれた長女、予定日から2週間遅れで、心音低下のため、母体だけでも助けようと言う緊急の帝王切開でした。

4260gと巨大児で、私の体ではとうてい自然分娩は無理でした。

肺呼吸がはじまり、羊水と胎便を飲み込んでいたため、取り出されてすぐに救急車で国立病院に搬送されました。

私は2週間後に退院し、母乳を届けに通う日々。
優しい抱っこも子守唄もない保育器の中で、点滴を外さないように右手右足、左手左足を繋がれた姿で、頭に点滴の刺さった姿で、たった1人で必死に病と闘っていました。

入院中、一度だけ、抱っこさせてもらいました。
沐浴指導の日でした。

他の赤ちゃんはみな早産で生まれた未熟児さん。
その中で一人だけ「巨大児」が紛れていて、他のママさんからは「どうしてここに?」とよく聞かれました。


新生児期の母子のふれあいが大事。
母乳でしっかり育てないと

そんなこと、わかっているけれど、手の届かないところにいる娘に何をしてあげられると言うの?


子どもを生んだのにその子どもを抱きしめられない悲しさ。

産後の手伝いに来てくれていた母は、ついに一度も抱っこすることもなく、実家に帰りました。

名前を呼んで抱っこして、子守唄を歌ってあげて、お乳を与えて…

そんなごく普通の当たり前の子育てが最初からつまづいてしまった。


この子は私を母として認めてくれるだろうか。


出産からもう一ヶ月が過ぎ、世間はクリスマスで浮かれていました。
クリスマスツリーには「baby‘s  first christmas」のオーナメントが揺れていました。


肺炎も収まり、無事退院することが出来ました。

それがクリスマスの翌日、12月26日。

初めて自分で抱っこして、右の乳房で母乳を与えた日。

私がようやく「母」になった日。

今までの自分とは違う、命をかけて守るべき存在を意識し、強くならなくてはと心に決めた日。

今度はその日に母性の象徴ともいえる乳房を失うことになります。

失う?
何を?

母性を?
女性の象徴を?

違う。


失うけれど、きっと新しい私が生まれる、そんな気がします。

悲しかったり寂しかったりするけれど、痛い思いもするけれど。

でも、この日に決まったということは、きっと何かの巡り合わせ。

新しいステージの始まり!


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