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7 weeks #1 青天の霹靂
2020.07.09 thu
14:00
在宅勤務で仕事をしていたら、携帯電話が鳴った。珍しく父からだった。
電話に出ようとしたが、このところ私のスマホが音声通話に不具合を起こしていて何も聞こえない。
仕方なく自宅の電話からかけ直すと、ひどくしゃがれた声の父が出た。一瞬、本当に父本人か疑ったほどだ。でも理由はすぐに分かった。
「呼吸器に重大な疾患が見つかった。コロナではないんだけど。今日この後病院に来られるかな」
ぎょっとした。健康が自慢の父が言うのだから本当に重大な疾患なのだ。
仕事に都合をつけて、17時に豊洲にある昭和大学江東豊洲病院に行くことになった。同じく在宅勤務している夫に事態を伝えて、こどもたちの迎えとその後の対応を引き受けてもらった。妹にも連絡を入れると、今から行くという。
17:00
江東豊洲病院に着き、受付で父の名前と病室を伝えると、呼吸器内科の病棟へ案内された。自然光のたっぷり入る、明るいフリースペースのテーブルで、父の共同経営者であるM氏がすでに待っていた。これまでも祖父母の葬儀に来てくれており何度かお会いしていた。
少し遅れて妹が到着し全員揃ったのでナースステーションに声をかけると、父の病室に通された。立派な個室だった。主治医らしい先生がすでに病室にいた。背が高く、年齢は私と同じくらいだろうか。父は見た目には普段と大して変わりなく見えた。本人も元気なつもりなのだろう、ベッドでなく窓際に腰掛けようとするのを私と妹とM氏の3人が全員同時に制して、ベッドに座るように促した。
先生が私たち全員に見えるようにPCを見せながら話し始めた。
「肺に大きな腫瘍があります。本来なら心臓があるはずの場所に、心臓を押し潰すような格好で腫瘍ができている」
見せられたCT画像には、素人の目にも明らかに巨大な白い影が映っていた。
医師曰く、おそらく肺がんか悪性リンパ腫のどちらかだろうとのこと。これから詳しい検査でがんの種類を特定するが、腫瘍が大きく場所も悪いため、手術による切除はできない。がんの種類によって、抗がん剤か放射線のどちらか、場合によっては併用しての治療になる。
さらには、腫瘍が心臓に繋がる太い静脈を圧迫しているので、血液の巡りがかなり悪くなっている。このまま腫瘍が血管を侵食すれば、大出血を起こす可能性もあり、その場合はもう救命できないという。現実とは思えない話が続いた。
しかも新型コロナウィルス感染症対策のため、入院中は家族も基本的に面会ができない。例外的に面会できるのは、医師から重要な説明を受ける時・手術の時・そしていよいよ危ないという時のみ。やれやれ、じゃあ一体次はいつ会えるのだ?医師の話によれば明日どうなってもおかしくない状況なのに。しかしとにかく検査の結果を待つしかない。
主治医から家族の第1連絡先を決めて欲しいと言われ、必然的に長女の私が連絡係を引き受けることになった。父と母は離婚して10年以上経つ。病院からは全ての連絡を私が受け、妹とM氏にそれぞれ連絡することにした。医師が部屋を出て、4人でとりあえずポカンとする。
とんでもないことになった。「いやーまいった」と父は薄い苦笑いを浮かべている。
健康診断はこの数年受けていなかったらしく、いつから腫瘍があったのかは分からない。しかし4月の(最初の)緊急事態宣言が出る前まではいつも通りジョギングしていたという。5月ごろから胸のあたりにチクチクとした違和感があったようだが、仕事が忙しかったとか、コロナで無闇に病院に行くのも気が引けたとか色々言う。7月に入り、横になって寝ると頸静脈を圧迫されるような感覚で苦しくなり、いよいよまずいと、近所のクリニックを受診して紹介状を書いてもらい、コロナでないことの証明にPCR検査も受け、ようやく大学病院で検査できることになったのが今日だった。
ふと、5月の連休にうちの息子たちの節句のお祝いに父と妹とオンライン飲み会をした日のことを思い出した。ビールの大好きな父が珍しくノンアルコールのビールを手にしていた。あのときすでに喉の違和感があったのか。
何をどうしていいか分からず、とりあえず交互に4人で写真を撮った。
新しくてきれいな病院の個室からは、眼下に埋め立てられた東京湾の入り組んだ水辺が見える。結果が出て陰性が確認できるまで大部屋には入れないので、個室はそれまでの特別待遇ということだった。ウォーターフロントの高級ホテルにステイしているかのような眺望が、なおさら「がん」の2文字を非現実的なものに思わせた。
18:00
病室に食事が運ばれてきた。父とM氏はそのまま仕事の引き継ぎの相談をするというので、私と妹は病院を出た。外は雨が降っていた。子どもたちが保育園から帰ってくる時間だが、今日は夫に任せたので急いで帰る必要もない。妹と豊洲のららぽーとに入り、カフェで軽い夕食をとりながら家族会議となった。とはいえ、今私たちにできることはあまりない。これから起こりうることについて心の準備をしておくくらいだ。喪主、という役割が遠からず回ってくるのだと思った。縁起でもない、などとはもはや言っていられない。夫にLINEでざっと概要を報告する。驚いている。当たり前だ。
妹と別れた後、まっすぐ帰宅する気にもなれず、気晴らしにモールで少し買い物をした。子どもたちが保育園のプール遊びで使う水着をセールで入手できた。よかった、ひとつ仕事が片付いた。TENDREの”LIFE”を聴きながら帰路に着く。2020年上期で1番のお気に入りの曲は突然、全く予想だにしなかったリアルな意味を持って私の前に立ち現れ、心臓を貫いていった。
21:30
家に着く。5歳の長男には夫がすでに話をしてくれていた。「ジジ、からだに大きなできものができちゃったの?」5歳なりに心配している。1歳の次男は何も知らず無邪気だ。面会には行けないので、近日中にオンラインで会わせてやることにしよう。
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