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7 weeks #2

2020.07.10 fri

11:00
一晩明けて、父に様子伺いのメールをする。入院しているといっても、本人が元気(?)ならいつも通り連絡は取り合えるのだから便利な時代だ。

こうなったからには確認しておかなければいけないことがある。

ひとつは父の会社にまつわることだ。父は共同経営者のM氏と共に会社に出資している。いざとなったときにこれをどうすべきか、事前に明示しておいてもらわないといけない。どう取り計らうべきかの判断は父にしかできない。
そしてもうひとつの重要な確認事項は、この状況を母にいつ、どのように伝えるべきかであった。
つとめて簡潔に、メールに質問事項を書いて送信。

12:00
夫と家族会議。昨日はざっとしか報告できなかったことを改めて説明する。率直に言ってかなりの覚悟が必要な状況であること。我々にできることはあまりないが、私は今後家族の代表として動く必要があることを伝える。子どもたちのことは、その都度よしなにするから心配ないと言ってくれた。

13:00
父から返信。入院初日の晩はそれなりに眠れたようだ。自宅では横になって寝るのがきつかったらしいから、病院のベッドで身体を起こしたまま眠れるのが良いのだろう。午後からさっそく、検査のための検体の摂取があるとのこと。
1つ目の質問については「早急に考えておく」と父。コピー用紙と三文判と返信用封筒を病室宛に送ってくれとのこと。使う機会のなくなっていた旧姓の判子とレポート用紙、封筒をさっそく手配する。

2つ目の質問について驚くべき返事が返ってきた。

「結果が吉凶どちらであっても、全てが終わってから知らせてもらいたい」

全てが終わってから。

ほう、そうですか。

思い起こす限り、父から何かについてこれほど明確にリクエストを受けた記憶はなかった。いつでも「君たちの好きなようにしなさい」と言ってくれる父だった。しかし、文字通り生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた父の言葉は、並々ならぬ強い意志をたたえていた。尊重して守るしかない。それは同時に、私たちがこれから起こるだろう事態について母に相談もヘルプの依頼もできないことを意味していた。

一応、ちび5歳がすでに病気を知っていること、次に母(ばば)に会う機会があったときにしゃべってしまう可能性があることだけは父に断った。その上で、私たちは母に対して口をつぐむことにした。後で母からクレームがつくかも知れないが致し方ない。大変なのは父であり私たちなのだから。父本人の意志を尊重すると決めた、私たちの意志だった。


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ユカカ/パラレルキャリア人事部
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