【海外旅行記】普通なんてものは存在しないのだから
はじめに
一つ前の記事を書きながら思い出したことがあります。
今思えば、あの日の自分はすごく未熟だし恥ずかしい。今も人間としてまだまだなのですが、反省の気持ちもこめてここに記録したいと思います。
ケアンズのレストランにて
9年前、夫と行ったオーストラリア旅行にて。
ケアンズ市内のカジュアルめのレストランに入ったときのことです。
私はトマトのパスタを頼んだはずなのに、店員さんの女性がまさかのカルボナーラで注文を通しており、カルボナーラが届きました。
伝えてみたところ、女性は開口一番に
「つくりなおしたほうがいい?」
と仰って。次の予定もあったので、これで大丈夫と言っていただきました。
でも、当時の私はそもそもトマトの気分になっていて、しかも間違ったのに謝罪の一言もない女性店員さんにだんだんイライラしてきてしまい。
なぜか沈んだ様子の日本人(私)に気づいた女性は、
「元気出して!アイスクリームあげるから!」
「アイスクリームもってくるよ!(2回目)」
と言ってきました。
私はなぜこの人、謝りもしないでポップに済ませようとしているのか?とイライラが増してきて、アイスクリームをいただかずにお店を出たんですよね。
自分だけの物差しで物事をみる愚かさ
今から思えば、本当に無知で相手を知ろうとしない、ひとりよがりの考えでイライラしていたなぁと思います。
訴訟が当たり前の国出身の方にとっては、安易に謝ると全面に非を認めることになり、危なかったりもすること。その土地やそのレストランでの常識、非常識。その女性がどんな気持ちで明るく声をかけてくれたのか。
考えを色々なところにめぐらせれば、イライラすることなんてなかったのかもしれない。何なんだろうこの店員さんって思っていたけれど、私こそ店員さんにとって嫌な客かもしれなかった。
ただ、[間違えたら謝るべき]という自分が思う正しさだけを振りかざし、幼稚な態度をとってしまって、すごくすごく反省している出来事です。
正しさも普通も絶対的なものはない
良いことと悪いこと。正しいことと間違っていること。
人により、場所により、時により、それは違ったものになる。
自分の考えを疑う癖をつける。
無意識のうちに、今自分の物差しではかっていた!ということがまだまだあります。謙虚に生きるよう、意識していきます。
おまけ
そうはいってもオーストラリアが大好き。ホームステイも経験しました。街も自然もどちらも素敵!
ケアンズの動物園にて。コアラちゃん可愛かったです。
いちばん大好きな動物。うまれかわったらオーストラリアのコアラになりたい。