#3 自分の幸せも応援すること
携帯が壊れたから、今回はイラストを使っています。
実際にいただいたものは、紅茶のチーズケーキと、リンゴの入ったドリンク。口にしながら、
「あぁ。やっぱりここに来てよかった」と。1時間も居られなかったけれど、また自分を大切にすることを思い出せた、そんな至福の時間だった。
そう、いつも気がつけば忘れてしまうから。
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実は、数日間辛かった。いろいろと重なったのだけれど、
とある言葉に、すごくモヤモヤした。一番大切にしているものを、ないがしろにされた気がしたからかもしれない。それでも、「応援ソング」を作り、お届けし続けたい。これからも、ずっと。
私は、人との境界線が薄めだという自覚がある。そしてたまに、自分の気持ちがよくわからなくなる。⇒♪『水晶玉』 こんな感じ。
アドラー心理学で、課題の分離が大切だといわれるように、自他を切り離すことは大事。そうすることで、人間関係のストレス、苦しみも減ることになるだろうとも……そう、わかっていながらもときに難しい。
こうして、特性によって困ることがある。でも特性を活かすこともまた、可能なのだと思う。
深く自分ごとのように思えるから、感情移入して共感(共振のほうが近いか)ができるし、心から「応援」ができるし、それが幸せなんです。
(発達さんに相談すると割と自分ごとのように話を聞いてくださってありがたい。ときに泣いてくださったりも。同化っていうのかな。)
苦しいときに、自分のために踏ん張る力が、わりと弱い。でもそんなときはいつだって、周りの方のためになら、頑張れたんだ。
そういえば、昨年事件に合い一番つらかったとき、目の前のお客さまの「応援ソング」を作ることに集中したら、いつのまにか、ふっと前を向けていたっけ。
https://note.mu/yuk_bb/n/n24716a22d8aa
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回想した後、ふっとカフェで目の前の窓に目線を戻すと、とても笑顔の素敵な女性がパートナーの(であろう)男性とお話をしている姿が写っていた。
男性の表情からは見えなかったけれど、二人は幸せなんだろうなって。お姉さんから笑顔いっぱい向けられて、お兄さんはすごく幸せなんだろう、と。
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なんだか、私はこんな風に笑っていたかな?って。
ここ最近、気づけば自己犠牲に陥ってしまうことって、あったよなと。
真剣さが、笑顔を通り越したら、険しくもなっちゃうことだって、ね。
人のために。それが自分のエネルギー源になる。
でもさ、自分のために幸せになることも思い出そう。
幸せになるために、生きてるんだもん。笑顔をいっぱい咲かせられる自分でいたら、伝播するように周りの方も幸せになるよ。きっとね。
ばあちゃんが昔、「笑っているゆうちゃんが一番」ってよく言ってくれた。
泣いているときには、そう鼓舞してくれて、
笑っているときには、そう幸せそうに声をかけてくれて。
だから、「苦しくても隠すように笑う」んじゃなくて、
笑顔が自然と溢れて、こぼれるような自分になりたいな。
そんな風に、いま思う。あの、お姉さんのように。
いま悩みごとがたくさんあるけれど、
自分が笑顔でいられるには?
それを、それだけを判断基準にしてもいいかもね。
挫折しそうになったら。我慢すればいいや……って置いてきぼりになりそうになったら。
「ばあちゃんに笑顔を見せたい」んだったよね?と、勝手に頭にうかべて、ばあちゃんの力を借りようって。許してね。
あなたはどんな風に幸せになりたいですか?あなたの幸せの形がかなうことを願っています*