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花泥棒と花摘み人 Jan31.2025
近所の家の花壇に「花をとらないでください」との張り紙を見かけた。 花泥棒、その存在はSNSなんかの噂では耳にしていた。しかし、まさか自分の近所で起こるとは。
いや、思い返してみれば、心当たりはある。それは、昨年の春先のこと、うちの門の横にある花壇にひっそりと植えていたチューリップが不自然になくなった事があった。
そのチューリップは、母が実家に植えた余りの球根を持ってきたもので、朝の数時間しか陽が当たらず、放置されていた花壇にポツンと一つ球根を植えた。土に埋めたきり、肥料も水もやらずに放置していたが、春先には小さな真っ赤な花を咲かせ、殺風景なその花壇が一気に春めいて見えた。
毎日家を出入りする時、その健気なチューリップを愛でるのがささやかな楽しみになっていたのだが、ある日、そのチューリップが忽然と消えた。葉だけを残して、茎の根本のところできれいに切り取られてしまった。切り口は、まるで刃物などで切り取ったかのようにすっぱりと。もしかしたら鳥がくわえて行ったのかも、かわいかったから子供が摘んで行ったのかも、などのこうだったらいいのにという想像を、きっぱりと断ち切るかのように。
どうして生えているそのままの花を楽しむことができないのだろう、どうして自分の物にしたくなるのだろう。腹が立つと同時に心が荒むような何とも悲しい気分になった。
でも、例えば、切り口が手でむりやり折り取ったようにちぎれていたら、もしかしたら近所の子供がきれいな花をみつけた!と摘んでいったのかなとその光景を想像して、そうすればそんなに腹は立たなかったのだろうか。犯人が大人か子供かで受ける気持ちがこうも変わるのはなぜだろう。
そこには、野原や田んぼのあぜ道で綺麗な花を摘みながら帰ったあの体験が、今の子供にもあったなら、それはそれでいいかな、と考えている自分がいる。しかし、このご時世、野原やあぜ道も山だって、それは誰かの土地であり、例え自生している草花であっても、勝手に取ってはいけない、というのが一般的な認識のはず。
そう考えていくと、なんとも味気ない世の中のような気がしてくる。そもそも土地なんて、誰の物でもなく、みんなのものであったはずなのに。そこに勝手に線を引いて、所有権を主張して、奪い合って、あぁ人間はなんと醜い生き物だろうか、と嘆きたくすらなってくる。
そんなことを思いながらも、やっぱり花泥棒には腹が立つ。大の大人が計画的に狙いを定めて、自宅からハサミを持参して、ちょきんと刈り取ったと考えるとなおさら腹が立つ。そして、家の前の駐車スペースに犬のフンをされまいと、「犬のフンは片付けましょう」という立て看板を設置する。結局私も小さな土地の所有権を主張しては、そこを他人に侵害されまいと躍起になる醜い、一人間にすぎない。
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