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欠けた視野を自覚した話

先日、久々に視野検査を受けました。非常に疲れたのは言うまでもありませんが、この日、23年生きてきて初めて、自分の視野の欠けている部分を自覚しました。

私の視野は中心やや右に欠けている部分があります。それほど大きな欠損ではなく生活にそれほど支障はありませんが、無視はできないサイズのようです。
ただ、これまで生きてきた中で、その部分の視野が欠けていることを自覚できたことは1度もありませんし、それを知ったのさえ数年前のことです。

そもそも視野検査というのは目線を正面に向けて視点を中心に固定した状態で光の点を認識して測るものですから、目線を動かしたり顔の向きや位置を変えたりすることでその部分の情報は入ってきますし、その瞬間私の視覚に映らない部分はおそらく脳が補完しているのだと思います。それはおそらく晴眼の方の「盲点」と言われる部分と同じように。日常生活において体も顔も視線も固定する場面なんてものはなかなかなありません。
あるとすれば眼球さえも動かせなくなる催眠術か金縛りのようなものでしょうか。そのような状況であれば、自分の欠けた視野の部分をまっすぐに飛んでくる物体があっても気づくことができずに衝突してしまうのでしょうが、そもそも眼球さえ動かせない状態なら避けようがありませんから同じことです。知らぬ間に衝突するだけ驚きは大きいかもしれませんが。


そんな中心の視野欠損ですが、先日の視野検査で生まれて初めて自覚することができました。

先にも書いたように視野検査は視線を中心に固定して行います。自動視野計の前に座り、顎と額を固定。
担当してくれた視能訓練士さんから「中心を見てください。中心には点がありますが、瀬戸さんの視野ではおそらく見えないと思うので、この2つの線の交点のあたりを見てください」と、視野計のスクリーン上でペン2本を中心を指すように配置して示してくれました。
なるほど、確かに、中心が欠損している自分の視野であれば、真っ直ぐに中心点を見た時にはその点は認識できないはずです。

しかし、見えました。
はっきりと。点があります。

「……点、見えてます…」
「それは中心を真っ直ぐ見れてないからです。この線の交わるあたりが中心になるように見てみてください」

そんなはずはない、自分は真っ直ぐ中心を見ているはずだ、そう思いつつも、もう一度2本のペンを追って中心に視線を向けてみます。

うわ、消えた!!

消えました、点が。さっきまではっきり見えてたのに。不思議な感覚。そこに点があることはわかってるのに。点が、見えません!
見えるのはまっさらなスクリーン。おそらく脳が補完しているのでしょう。何もないスクリーンだけ見えます。

なるほど、視野欠損とはこういうことなのか。
特に困ってもないし、自覚しないならしないで生活上何の問題もないものでしたが、初めて実体験(本当は常に体験しているのですが)して軽く感動しました。

しかし私の脳は優秀なようで、一度目線を動かしてしまえば、どの範囲が認識できないのかなどは一切わからないように映像補完を実行してくれています。
検査を受けている間だけ自覚できていましたが、今はもはや再び一切の自覚はありません。


見え方というのは人それぞれで、自分自身の見えなさ、見えにくさへの認識も人それぞれです。特に視野などは見えていないということさえ気づかない人も多々いるようです。
これを明らかにするには検査を受けるしかないのですが、健康診断などでは視力は測っても視野は測らないことが多いのではないでしょうか。それは生活への影響が視力ほど大きくないからだとは思いますが、自覚がないうちに視野が狭くなっていたという話も聞きますし、もし病気なら早期発見早期治療に越したことはありませんから、症状の自覚がなくても定期的に眼科で視野検査も受検するのが望ましいのではないでしょうか。

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